成果報告
2012年度
死の脅威を異質な他者の受容に結びつけるための研究
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注意の焦点の観点から
- 東京大学大学院人文社会系研究科 博士課程
- 伊藤 言
■研究の背景
著者は「死の脅威を異質な他者の受容に結びつけるための研究―注意の焦点の観点から」という研究課題において研究を遂行した。本稿において、紙幅の都合上、研究成果の一端を報告する。アメリカで生じた9.11のテロ以後、アメリカ社会においてアラブ系住民に対する排斥行動が強まったという。上記の例は、外集団(イスラム)が内集団(アメリカ)に脅威を与える状況特有に思えるかもしれない。しかし心理学は、外集団による脅威が存在しない状況でも、たとえば自分の死をわずかな時間想起するだけで、人が自分の文化にとって異質な他者を排斥しようとする傾向を持つことを明らかにしてきた。著者は、注意の焦点(「木を見るか森を見るか/対象にズームインするかズームアウトするか」についての人間の認知的傾向)に着目し、注意の焦点を拡大する操作を行うと(「木」ではなく「森」を見るよう注意焦点の範囲を誘導すると)、死の脅威を認知しても自文化防衛反応が生じないことを明らかにし、そのメカニズムを探ってきた。2013年度は主に、a. 脅威の認知と付随する防衛反応についての研究、 b.注意の焦点の基礎メカニズムに関する研究、 c. 注意の焦点と対人認知(他者の受容)に関する研究の3つを並行的に行った。
■研究の成果
a.脅威の認知と付随する防衛反応についての研究
a-1. 死の脅威と地震の脅威の比較実験研究
日本社会において身近に死の脅威を感じる最たるものの一つである地震の脅威を取り上げ、地震の脅威が顕現化した際に人間の心理にいかなる変化が生じるかを実験的に検討した。また著者は、死や地震の脅威を認知すると、自文化の防衛が生じるだけでなく、笑いやユーモアが促進されるという別の形においても防衛反応が生じうると想定していた。そこで、実験参加者に死もしくは地震もしくは歯の痛みについて5分間想起させる条件を設け、その後a. 中国の尖閣諸島領有権を主張する中国人留学生に対する受容的態度がいかに変化するか、b. ユーモアに満ちた4コママンガに対するおもしろさの認知がいかに変化するかを別実験にて測定した。その結果、死や地震について想起すると、歯の痛みについて想起した場合と比較して、尖閣諸島問題に対するより強硬な態度(中国人留学生に対する人格否定という自文化防衛反応)が生じること、また自文化防衛反応だけではなく4コママンガに対するおもしろさの認知も促進されることが示された。たとえば東日本大震災を経験したとき、わたしたちは異質な他者に対して排斥傾向を強める、と同時にユーモアを備えた存在に対してよりおもしろいと感じるようになっていたことが示唆された。人は死や地震が顕現すると感情価をともなった対象へのより極端な評価傾向を強める(ポジティブな対象はよりポジティブに、ネガティブな対象はよりネガティブに感じられる)と考えられる。
a-2.注意の焦点の個人差に応じた、死の脅威に付随する防衛反応のちがいに関する研究
右に示した文字図形は全体的(Global=「森」)に読み取ることも(この場合は“H”)部分的(Local=「木」)に読み取ることも(この場合は“S”)可能である。GlobalあるいはLocal文字の読み取りに要する反応時間を測定し比較することによって、ある人が持つ視覚的な注意焦点傾向の個人差を測定することが可能である。実験的研究の結果、Local文字の読み取りよりもGlobal文字の読み取りに必要な反応時間がより短い(注意焦点がGlobalな=「森」を見やすい)傾向を持つ人ほど、死の脅威を認知してもその後自文化防衛的な反応を行いにくいことが明らかとなった。
b.注意の焦点の基礎メカニズムに関する研究
視覚的な注意の焦点と、概念的な注意の焦点の結びつきに関する研究
a-2.で示した現象はなぜ生じるのかを探るために基礎的な研究を行った。視覚的な注意焦点の範囲に応じて、抽象的思考を行う度合いが変化することを実証的に明らかにしようと試みた。上図に示したような文字図形を複数回Global(“H”)に読み取る条件とLocal(“S”)に読み取る条件を設けることによって、視覚的な注意焦点の範囲を実験的に操作することが可能である。従来の研究では、視覚的な注意焦点がGlobalに誘導されると、その後、概念的な注意焦点の範囲も全体的になる、すなわち具体的思考よりも抽象的思考が促進されると理論的に仮定されてきた。しかし、このつながりを実証的に検討した研究は存在しなかった。そこで、まず上図の文字図形を用いて視覚的な注意焦点の範囲を誘導した後に、ある単語(例:電車)を呈示し、その後抽象的なカテゴリー語(例:のりもの)もしくは具体例(例:山手線)を呈示し、より抽象的な単語があらわれたかより具体的な単語があらわれたかを二択で選択する課題を開発し、反応時間を測定した。その結果、視覚的にGlobalな注意焦点の範囲を誘導されると、その後概念的にも抽象カテゴリー語に対する反応が促進される(抽象語に対する反応時間が短くなる、すなわち抽象概念が活性化される)ことが示された。
c.注意の焦点と対人認知(他者の受容)に関する研究
あらゆる行為(例:「食事をする」)は、抽象的(例:「空腹を満たす」)にも具体的(例:「もぐもぐと口を動かす)にも解釈することが可能である。抽象的思考を行うと他者を受容しやすくなるかを検討した先行研究が存在しなかったため複数の実験を行った。その結果、自己と他者を切り離して他者について思考を行う(相手は…と考える)際は具体的思考を行うと相手を鮮やかに感じられるので共感や利他的行動が促進されること、他方、自己を他者に重ね合わせて思考を行う(自分が相手ならば自分は…と考える)際は抽象的思考を行うと自己と他者の共通の目標に気づきやすくなるので他者への共感や利他的行動が促進されることが示された。追加実験および知見を統合した理論構築が今後の課題であり、現在遂行中である。
2014年5月