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研究助成

成果報告

若手研究者のためのチャレンジ研究助成

2012年度

満洲人社会から見る「中国」近代史
― 辛亥革命と「優待条件」の再検討 ―

東京大学大学院総合文化研究科 博士後期課程
阿部 由美子

1911年10月10日の武昌での新軍蜂起に端を発した辛亥革命は、1912年2月12日の清朝皇帝退位という形で決着を見るが、この政権交代は、従来の革命史観では、共産党史観でも国民党史観でも清朝を武力で打倒した「革命」としてとらえている。一方で、袁世凱をはじめとする中華民国北京政府及び清室は1912年の政権交代を、清朝皇帝が平和的に政権を移譲した「禅譲」であるという認識をしており、北京政府はこれを中華民国政府が清朝の版図を継承する正統性の根拠とした。清朝の「禅譲」の象徴とされたのが皇帝退位と引き換えに取り決められた「優待条件」である。優待条件は清室優待条件、清皇族待遇条件、満蒙回蔵各族待遇条件からなり、清室、皇族、満蒙回蔵各族の清代以来の地位を保障した。本研究はこの「優待条件」の満洲人(旗人)に関する規定に着目して、従来革命史観に基づいて叙述されてきた中国近代史を相対化させることを目指した。具体的には、中華民国北京政府時期に北京で発行された新聞資料を調査することで、清室と北京政府の関係や、清朝と北京政府時期の連続性と非連続性、八旗制度 の存続とその解体過程、旗人生計問題と旗人の貧困化などを中華民国政治史のなかで検証し、中国近代史における「優待条件」の再検討を行った。資料として使用した新聞資料は主に同時期の白話報である。これらは北京の庶民の生活に根差した記事を掲載しており、北京の昔からの住民(老北京人)である旗人(満洲人)に関する記事も多い。日本では入手不可能な新聞資料も多いため、本助成金を使用して北京に資料調査に行った。2013年9月に行った調査では中国国家図書館、中国社会科学院近代史研究所、北京大学図書館、中国人民大学図書館などの機関を訪問し、『群強報』、『愛国白話報』、『実事白話報』、『白話強国報』、『白話捷報』、『白話晨報』、『北京白話報』、『北京日報』、『北京晩報』、『世界日報』などの新聞資料を収集した。これらに加えて日本で収集した『順天時報』、『京話日報』などの資料を分析し、清末から中華民国北京政府時期の北京の満洲人社会の変遷についてより詳しい実態をつかむことができた。それを年代別に簡潔にまとめると、以下のようになる。

1910年代 小康期。優待条件が相対的に機能していた時期である。旗人への旗餉(俸給)や清室への優待経費の定期的な支給が実施されていた。しかし、1916年5月に政府が現銀枯渇を防ぐために紙幣兌換を停止したため紙幣価格が下落し、紙幣で旗餉を受給していた旗人の生活を直撃する。特に1918年以降は、紙幣価値は半減に近い水準にまで低下しており、旗人の貧困化は進行していく。

1920―1924 動揺期。北京政府の財政状況が悪化し、旗餉や清室優待費の定期的な支給が滞るようになる。旗人の貧困化は一層深刻な状況になっていく。

1924年 馮玉祥の北京政変により11月に優待条件が一方的に修正され、清室の紫禁城退去が強行される。同時に清代以来の北京の治安維持機関である歩軍統領衙門が解体され、清室、歩軍統領衙門で多く雇用されていた旗人は雇用先を失うことになり、街は失業者で溢れる。

1924―1928 解体期。旗餉が完全に停止し、1928年には国民政府による北伐で、北京政府が滅亡し八旗も完全に解体されることになる。また、首都が南京に移転し北京は大不況に陥る。さらに国民党の孫殿英軍による東陵略奪事件によって満洲人社会は大きな精神的ショックを受けることになる。

以上の分析により、以下の知見を得ることができた。「優待条件」下の北京の旗人社会は、辛亥革命以降も八旗制度の存続により社会コミュニティが維持され、清代との連続性が顕著であった。だが旗餉の支給は継続されたものの旗人生計問題の根本的な解決はみられず、旗人の貧困化の進行により八旗は緩やかに解体へと向かっていった。そして1924年と1928年に大きな衝撃を受けて急速に解体されて行くことになる。本研究は満洲族の視点を中国近代史に反映させて革命史観を相対化させるという目的のもとに行われたが、北京政府時期の満洲人社会の実態解明の作業のなかで、その目標に近づくことができたと思う。今後の課題は、今回明らかにした八旗の崩壊過程を経て、様々なエスニックグループの出自を持つ旗人がいかにして満洲族としてのアイデンティティを確立していったかということである。今後は旗人自身の新聞への投稿記事などを分析して、かれらのアイデンティティ面での変遷についても明らかにしていきたい。

本助成金によって多くの新しい資料を収集し、研究を進展させることができましたことを深く感謝申し上げます。



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1 八旗とは清代の軍政民政一体の社会組織であり、清朝の国家統治の根本とされた。八旗は満洲人を核としながらも、漢人、モンゴル人のほかツングース系諸族、朝鮮人、ムスリムなど様々なエスニックグループを包摂しており、その構成員である旗人は八旗に戸籍をもち、一般漢人(民人)とは区別された。



2014年5月

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