成果報告
2012年度
ユーラシア草原の諸民族におけるチンギス・ハーン崇拝の歴史と現状
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諸寺における仏教文献の新研究
- 昭和女子大学総合教育センター 非常勤講師
- ボルジギン・フスレ
2012年11月6日にモンゴル国ウランバートル(文化宮殿・国際モンゴル学会会議室)で国際シンポジウム「ユーラシア草原の諸民族におけるチンギス・ハーン崇拝の歴史と現状」を開催し、日本、モンゴル、中国、ロシア、韓国、トルコの50名余りの研究者が参加し、共同発表を含めて、14本の論文を発表した。ここでは、そのなかの主な発表をまとめる。
モンゴル国立大学教授チョイマーの報告「チンギス・ハーンの宗教に対する認識」は、チンギス・ハーンはさまざまな宗教を容忍する政策をとり、それによって、ユーラシアでは、さまざまな宗教、文明が自立した空間を持つことができるようになり、これはのちに近世、近現代ユーラシア地域の宗教の枠組みの基礎を築いたと指摘した。トルコのパムッカレ大学准教授エクレム・カランの報告「モンゴル帝国の宗教に対する寛容政策――金帳汗国を例として」はモンゴル帝国時代、統治下の土地で支配的な文化的影響力をもつファクターである宗教から距離をとったのではなく、金帳汗国でも、イルハーンおよびツァガーダイ・ハーンの時代も、たいていはイスラム教を、ときにはキリスト教や仏教を選んでいたのに対し、北京に駐留するモンゴルのハーンらは仏教に重きを置いていたと結論付け、モンゴルのハーンたちはすべての宗教に寛容な態度をとり、民族をまたいだ、多様な文化をみずからに包含した国家をしっかりと立たせるために努力していたと強調した。
ロシア科学アカデミーシベリア支部モンゴル学・仏教学・チベット学研究所教授Ts.ワンチコワの報告「チンギス・ハーン崇拝について――『白い歴史』を手がかりに」は、中世のモンゴルの歴史をもっぱら否定的にのみ解釈するロシアの諸史料のなかで書かれたチンギス・ハーン像をまとめた上で、仏教の影響をもつ、チンギス・ハーンをたたえる史書『白史』に着目し、チンギス・ハーン崇拝には、統率者すなわち軍事同盟のリーダーに対する崇拝から、その後の世代で神格化された、モンゴル国家の始祖に対する全帝国的崇拝へ、そしてそれ自体の意義を失うことなく現在にいたる継承の発展の道筋が存在すると述べている。
モンゴル防衛大学教授G.ミャグマルサンボーの報告「マハーカーラのトグ・チンギス寺の歴史の問題について」は、1863年に外モンゴルのセツェン・ハン・アイマグのチン・アチト・ワン・ホショーでつくられた、チンギス・ハーンをまつるトグ・チンギス寺の歴史を克明に考察した。チンギス・ハーンの白や黒のスルドを祀る祭祀場は、ハルハには何か所も存在しており、モンゴル人はいつ、いかなる条件においても、チンギス・ハーンを忘れたことはなかったと論じている。
ボルジギン・フスレの報告「19世紀末20世紀初期のモンゴル諸地域におけるチンギス・ハーン崇拝の実態」は5つの面から、オルドス、ハルハ、バルガ、ホルチン、モンゴルジン、ハラチン等のモンゴル諸族のなかにおけるチンギス・ハーン崇拝の実態を考察、検討し、同時代には、チンギス・ハーン崇拝はオルドスだけではなく、ハルハ、ホルチン、モンゴルジン等モンゴルの諸地域に存在していたと考えている。
2013年9月