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研究助成

成果報告

人文科学、社会科学に関する学際的グループ研究助成

2012年度

口承文藝が防災教育に果たす役割の実証的研究
― インドネシアと日本の事例を通じて ―

立教大学アジア地域研究所 特任研究員
高藤 洋子

 2004年12月に発生したスマトラ沖地震大津波においてインドネシアでは犠牲者が17万人以上にも及んだ。本研究ではその地震大津波の際、1907年に発生した地震・津波による災害経験の伝承があった島と伝承のなかった島に着目し両島の比較を行った。伝承のなかった北スマトラ州ニアス島では甚大な被害があったのに対し、「Smong(スモン)」という伝承が語り継がれていたアチェ州シムル島では犠牲者が格段に少なかった。「Smong」はシムル語で津波を意味し、地震後の津波の発生を警告し高台に避難を促す内容である。
 2011年度のシムル島における調査では、「Smong」が島に伝わる「Nandong(ナンドン)」と呼ばれる叙事詩や子守唄としても伝承されていることを見出した。また「Smong」の内容に2011年3月に発生した東日本大震災のことを新しく加え継承している地域があることを確認するに至った。
 2012年度の調査では、さらに同島の人々が「Smong」を日常生活の中で伝承してきたことに加え、先人の経験談、また地域や子孫を守るために蓄積してきた知恵や技術などを用いて災害から身を守る術を伝承し続けてきたことも明らかにした。
 アンケートや聞き取り調査の結果、伝承されてきた「Smong」は時代によって歌詞の内容が変化していることや、同じ島であっても地域によって異なる言語が使用されているため、その歌詞や旋律は多様性に富んでいることも明らかにした。加えて、異なる時代や地域において、どの「Smong」も歌詞が押韻の形式をとっていることと「地震発生後直ちに高台に避難する」ことがキーワードとして盛り込まれているという共通点を見出した。
 以上のことから本研究では、減災の知恵を日常生活に組み入れることが災害の記憶の風化を防ぐポイントとなり、災害経験伝承が時間を超えた普遍的な防災技術となり得ると結論付けた。
 ニアス島ではシムル島において伝承されてきた「Smong」の事例をヒントにニアス島の住民が慣れ親しんでいる伝統歌を活用した防災歌を創作し防災教育の普及を進め、その効果を調査した。具体的にはニアス島において住民が災害の記憶を風化させず災害経験を次世代に伝承していく手法として、同島の人々に親しまれてきた伝統文化に着目した。ニアス島の人々の生活に密着した伝統舞踊「Maena(マエナ)」の歌詞に地震発生時の対処法を盛り込んだ防災歌の創作を試み、学校を核としてコミュニティ全体に普及した。「Maena」は多くの人々が一緒になってステップを踏む非常にシンプルでわかりやすい踊りであり、住民皆が親しんでいる舞踊である。歌やダンスなどを主体とした防災教育であればインパクトもあり、元来、音楽好きな住民のコミュニティの活性化にもつながる。また持続可能な防災意識の普及が期待できる。
 一方、ニアス島では古くから残る石文化を活用することが有効ではないかと仮定し、石文化を調査するとともに石造物に防災の教訓を刻み石碑を建立することを計画しアンケート調査を実施した。その結果、古来、ニアス島では石に様々な情報を刻む習わしがあり、住民は石碑の建立を自然に受け止めていることがわかった。ニアス島に残る石文化を探求し、日本の災害文化の代表として挙げられる石碑を活用した減災の試みが後世に伝える効果についても調査した。
 本研究の主要な成果は、伝承され続けてきた「Smong」の詳細を明らかにしたこと、またシムル島の「Smong」を手掛かりとして、ニアス島において新たに現地の伝統文化を活用した防災教育をプログラム化し、教材を開発したことである。この成果はニアス島に限らずより広い地域で多くの人々に防災の知識や意識、技術を伝達することに役立つ。
 日本とインドネシアは歴史も文化も異なる国であるが、両国は共に地震や津波多発国である。当研究の調査過程や成果の記録は、日本語とインドネシア語で作成し両国で共有できるものとした。シムル島、ニアス島およびバンダアチェにおいて現地の学校やコミュニティと連携し防災セミナーを実施し成果を発表した。また日本国内に於いて開催したシンポジウムは学際的で活発な議論の場となった。今後は本研究に基づき開発したプログラムを教育カリキュラムに組み入れ、ニアス島全島に普及させることを計画している。さらに日本においても本研究の成果をいっそう広く発信し防災教育活動として活用していきたい。

2013年9月

サントリー文化財団