成果報告
2011年度
照葉樹林文化要素としての癒し植物に関わる文化多様性をめぐる研究
- 東京農業大学農学部教授
- 山口 裕文
照葉樹林文化研究会の研究グループは、照葉樹林文化論でこれまで深く検証されなかった癒し植物の生活文化としての位置づけをはかるため、西九州の隠れキリシタン集落における祭祀植物や紀伊半島南部の民家周辺において活用されている照葉樹林要素植物、古都の社寺林や民俗利用における精霊樹、照葉樹林帯原産の鑑賞・香料植物に関してフィールド調査と文献調査を行い、絵画やデフォルメにみられる植物の文化認識も併せて解析し、精神文化にかかわる癒し植物の活用の歴史的変遷の体系的整理を試みた。
2011年9月に五島市と新上五島町、2012年3月に島原・天草と新上五島町のキリシタン教会と教会墓地を対象にフィールド調査を行い、2012年2月には巨樹の精神文化に関する調査と供花に使われる照葉樹に関する調査を実施し、癒し植物の活用実態を把握した。これらの植物文化を中国や西洋の文化やアイヌ文化と比較し、植物文化的多様性を考察した。また、3回の研究検討会を開催し、招聘した研究者の特別講演と併せて参加者間で植物文化多様性について情報交換・討論し、それぞれの専門領域において論文発表および原稿執筆を行った。
西九州のキリシタン教会は、禁教令の解けた明治6年以降に信徒の努力によって各地域に建てられ、同時に周辺の墓地も整備されつつ、維持管理され、今日に至っている。教会堂は一時期を除いて年間をとおして立花で飾られ、周囲の美観が維持されている。用いられている植物は、地域の照葉樹のほか季節それぞれの花卉である。祈りの空間である聖堂には、ステンドグラス、壁面、天井などにサクラと推定される花模様があり、当該地でツバキあるいはバラ(ノイバラ)の花の変形とされる花模様は、煉瓦、石あるいは木を使った建築文化を個性づけている。キリシタン墓地は日本の照葉樹林の構成種と外来花卉によって飾られている。これに対して紀伊半島南部では、西南日本の一般的傾向と同様に寺社や里域には巨樹崇拝がみられ、仏寺、墓地の供花にはヒサカキ、サカキ、シキミなどの照葉樹のほかニオイヒバ、コウヤマキなどが枝物として使用され、地域の自然資源を基調とした植物文化がグローバル化の波を受けながら存在している。
植物による癒しは、取り上げた精神文化に関わるものだけでなく(山口2012)、その基盤は地域の自然資源の活用によって賄われ、外来の植物はそれを変容させる形で文化融合もすすめている(大形2012)。五島の教会群は、世界遺産登録を目指しているが、その価値は提案されている建築文化の財産としてだけでなく、教会の静寂な空間と教会周囲の美観は住民の生活に溶け込んだ日頃の振る舞いによって担保されている部分が多く、西南日本の照葉樹林帯と同様に自然や生活に密着した文化多様性が文化財の基層となっている点が明らであり、それと一体化した遺産の保全が重要である。
研究会は、文化変容や多様な生活文化の形成についてさらに詳細な討論を進めており、生活の関わりによる植物側の変化についても国際的な比較(大野・山口2012)を加える事により、中尾佐助が『花と木の文化史』で述べた植物文化多様性のパターンと形成プロセスをさらに深化させたい。
2012年9月