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研究助成

成果報告

2011年度

モンゴル諸寺院におけるチンギス・ハーン崇拝に関する国際共同研究

昭和女子大学総合教育センター非常勤講師
ボルジギン フスレ

 中国、ロシア、モンゴル3国の間で分断されたモンゴル人にとって、その統合の象徴としてのチンギス・ハーンの表象は、国境をこえ、各地の遺跡や仏教寺院におけるチンギス・ハーン祭祀によって維持されてきた。この祭祀の伝統は、政治的弾圧をくぐりぬけながら守られてきたが、従来の研究関心はカラ・コルム、元の上都など、もっぱらモンゴル帝国時代の遺跡への考古学的な調査にかぎられてきた。本研究は、チンギス・ハーンの軍神(モンゴル帝国時代の軍の旗)を祭るモンゴル国ドルノド県のチンギス・ハーン寺と中国内モンゴル自治区シリーンゴル盟ドローン県の彙宗寺などについての国際共同研究をとおして、18世紀から20世紀前半までのモンゴル人のチンギス・ハーン崇拝の実態を明らかにすることを目的とした。
 2011年度には、日本、モンゴル、中国の3カ国の研究者による二つのチームを編成し、モンゴル国、中国の各文書館に所蔵されている民俗史に関連する史料を精査し、上記現地の諸寺院、およびモンゴル国西部のホブド県などの地域で調査をおこなった。そのうえで、収集したオリジナルなモンゴル語、中国語、チベット語の諸資料を整理、分類し、解読、分析をおこなった。また、研究代表者は論文「シリーンゴル盟ドローンノール彙宗寺(フフ・スム)マハカラ祭祀の由来とその現状」、共同研究者田中克彦教授は論文「20世紀――チンギス・ハーン評価をめぐる攻防の時代」、同じく共同研究者のチョイラルジャブ教授が論文「“チンギス・ハーンの箴言”研究における諸問題」、G.ミャグマルサンボーが「ドルノド県チンギス・ハーン寺についての実証的研究」他を執筆した。

 本研究により、以下の知見をえた。
 第1に、チンギス・ハーンは、中央アジアをはさんで東西に分離していた二つの文明世界の間に濃密な交流を作り出し、一種のグローバルな文明圏を作り出したのであり、そのグローバル化は、今日のグローバリズムとは異なり、特定の経済原理、特定のイデオロギー、特定の宗教を主張することによってではなく、それぞれ自立した文明空間の自主性をそのままにしておきながら、ゆるい交流圏――ユーラシア交流圏を作り出したと評価できる。
 第2に、チンギス・ハーンの軍旗を祭ることは本来、シャーマニズムの供犠のカテゴリーになるが、16世紀後半、2度目の仏教受容ののち、スルデを祭る習慣は、チベット仏教の行事と結びつくこととなった。その典型的な例は、シリーンゴル盟ドローンノールの彙宗寺(フフ・スム)のマハカラ旗に対する祭祀である。内外モンゴルの会盟(集会、1691年)の地であるドローンノールにある彙宗寺が供犠するマハカラはチンギス・ハーンの軍旗の化身とされている。20世紀初期まで、内モンゴルだけではなく、外モンゴルの多くの貴族や庶民もよく彙宗寺に訪れていた。
 第3に、1863年に外モンゴルのチェチン・ハーン盟の集会地はチン・アチト旗(キ)で、マハカラ旗(ハタ)、すなわちチンギス・ハーンの軍旗を供犠するトガ・チンギス・イン・スムがつくられた。その理由は、チェチン・ハーン盟の集会で、マハカラ旗を祭祀するには、他の地域に行くのではなく、自分自身の地域で祭祀する必要があったからである。また、チン・アチト旗がチェチン・ハーン盟の各旗の集会地であり、地理的に同盟の中心部に位置しているのもその理由の一つであった。

 2012年5月20日に東京大学で国際シンポジウム「21世紀のグローバリズムからみたチンギス・ハーンとモンゴル帝国」を開催し、日本、モンゴル、中国、ロシアの9名の研究者が報告をおこない、130人ちかくが参加した。
 現在、わたしたちは、これまで収集した文献資料にもとづいて、チンギス・ハーン崇拝が仏教に吸収され、その伝統が断たれてしまったかのように扱ってきた従来のイデオロギーの干渉を受けた研究から解放された自由な観点から、各地の祭祀の伝統を復元しつつある。今後は、モンゴル国ドルノド・ゴビ県のスルデン・フフ・トルゴイにおけるチンギス・ハーンの旗――スルド祭祀なども視野に入れ、調査し、研究する。

2012年9月

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