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研究助成

成果報告

2011年度

工房作品と成形型の調査に基づく、近代京都陶芸の窯業基盤の研究

元離宮二条城事務所担当係長学芸員
中谷 至宏

[課題認識]
 調査対象の宮永東山窯は、輸出陶器で隆盛を極めた錦光山窯から出て明治42年に開窯し、昭和40年代まで活動した工房である。西欧の「美術」概念を受容した明治以降、陶芸の分野でも、作家としての個性の発露を「作品」に求め、集団的、分業的制作による工房作は、下位に価値付けられるようになり、近代陶磁史においても、研究・調査対象からは漏れ落ちる傾向にあった。作家としての発表した「作品」に加え、工房作を網羅的に保存してきた東山窯の資料は、陶芸制作の実態を再吟味し、京都の陶芸を明治以前から通観しつつ、近代陶芸史に新たな視点を導くかけがえのない調査対象である。

[調査内容]
 2009年度の図案調査1,500点、2010年度の工房作品(区画A)(箱詰めされた陶磁器)調査700点、石膏型(区画C)整理作業約1,000点に加え、本年度は、工房作品1,757点、石膏型抽出調査10点、陶彫原型(石膏)及び陶彫79点、作家としての作品(区画B)(作品として個別に保存された陶磁器)464点を調査し、調査資料は計3,000点を超えた。

[調査結果の考察]
<工房作品>
 染付・色絵磁器や青磁などの懐石具を主流に生産していた初代時代の工房作では、「満州銀行」「大丸」「竹葉亭」など、注文先が特定できる作例が多く認められるとともに、印に「東山」に加え、「游」が添えられた「遊陶園」と関連付け得る作例を確認することができた。青磁の東山窯として名声を高めたこと二代時代では、新たに図案化した植物文や線、幾何学文などの新意匠が現れるとともに、ティーカップやミルクピッチャーなどの洋食器が新たに加わる。また戦後のGHQや三越百貨店など販路も確認できた。
<石膏型>
 約1,000点の石膏型は、a. 「打ち込み」、b.「鋳込み」、c.「手おこし」の三種に大別でき、器形と制作数に基づいた選択が推察される。なかでも「手おこし」は、量産に適さないものの、多数の内型(入れ子)によって構成される複雑な型で複雑な立体である陶彫を目的とし、東山窯を特徴付けるものである。
<陶彫>
 初代東山は最晩年の昭和15年春に、沼田一雅を共同出資者として合資会社宮永東山を立ち上げた。動物像や人形、あるいは観音像などを題材にした陶彫は、応接間を備えた新たな生活様式の中で鑑賞用の置物として新たな陶磁器の用途を模索した試みとして注目できる。工房作として分類された(区画A)だけでなく、別置して保管された(区画B)にも多数含まれており、東山窯の代表的な作例としての自負がうかがえる。
<作品>
 調査数は限られているが、大鉢など作品としての発表を意図したとみなせる大型の作品のほか、色絵、銹絵などで出来栄えの良いものを選択して保管したものとみなせる作例も多く、また前述の陶彫も多く含まれ、「工房作」と「作品」とをかならずしも工房として明瞭に区別していたわけではないことを示している。
 3,000点余りの資料調査を通じて再認識させられたのは、陶芸における分業制作が持つ重要性である。轆轤、窯、絵付け、型などそれぞれの局面で的確な判断と熟達した技量を備えた職人の存在によって、現代では容易に再現できない、洗練された造形が可能となっていたことを確認することができた。優れた手を確保し、それらを統括し、方向付けする総合的なディレクターとしての工房主の在り方は、「個」に集約される近代的な「作家」像とは異なるものの、陶芸の本質的な成立構造として再考すべきであることを再認識させられた。

[今後の課題と展望]
 今回の調査・研究は、陶芸に関心の高い京都周辺の美術館博物館、および研究機関の研究者・実作者が参画した共同プロジェクトであった。膨大な資料と向き合う中で、近代的な「美術」と「工芸」との対置構造を再考すべきであるという課題が共有し得たことに加え、調査を通じて様々な情報交換がなされた。着手が叶わなかった「作品」資料の調査を当面の課題としながら、今後も定期的に参集し、調査と情報交換を行う研究会を立ち上げることに至ったことも本研究の大きな成果であると考える。

2012年9月

サントリー文化財団