成果報告
2011年度
土壌からみる社叢の現在・過去とこれからの役割
- 神戸大学大学院人間発達環境学研究科教授
- 武田 義明
宮城県 津波被害地域における社叢土壌調査報告書
東日本大震災による津波被害を受けた宮城県内の社叢土壌の化学的な分析を行い、社叢の回復のための基礎データとすることを目的に、狐塚仙台市若林区荒浜、八重垣神社(山元町)、山王宮(仙台市若林区)、天照皇大神宮(仙台市宮城野区)、八幡神社(仙台市若林区)、下増田神社(名取市)、稲荷社(岩沼市)で調査を実施した。これらの社叢の主要樹種はマツで、すべての調査地点で、津波により建物に大きな被害があり、社叢にも大きなダメージを被っている。したがって、土壌改良などの、回復処理をしなければ、樹木の枯損が進み、社層の喪失にも及びかねない状況である。 土壌試料は、主要な樹木の細根が多く、栄養塩を一番多く吸収し、もっとも影響の高い部分と考えられる幹から50cm離れた土壌の表面0〜20㎝までを採取、津波による塩害の被害状態を調べるために最も重要な、土壌pH、交換性カルシウム、マグネシウム、カリウム、ナトリウムを測定した。
分析の結果
土壌pH(特に早急な回復作業が必要と予測される、狐塚、八重垣神社のみで実施)は、八重垣神社では海砂が大量に流入し、また多量の海水により、土壌phが増加したものと思われるがpHが高く、塩害の程度は非常に強く広範囲で、早急に土壌改良をする必要があると思われる。一方狐塚では、周囲より高台になっていたため海砂が大量に堆積することがなかったため、塩害の程度はそれほど大きくないと思われる。
交換性カルシウム、交換性マグネシウム、交換性カリウム、交換性ナトリウムは、津波により流入したと考えられ、交換性ナトリウムは、明らかに高くなっていた。また、津波被害を受けた土壌は、ナトリウムが1.0ceq/kg以上になっており、塩害被害が樹木に表れることが確実である。また、同様にマグネシウムも増加していた。しかし、カルシウムは少なくなっている。健全な土壌では、カルシウムが10ceq/kgを越えている。カリウムについてはあまり大きな変化は見られなかった。
まとめ
土壌phの大きな増加、土壌中のナトリウム(塩分)の大幅な増加およびカルシウムの減少など、いわゆる塩害が明らかに認められた。このまま放置すれば、社叢への被害が深刻化すると考えられる。そのため、早急に、土壌改良などの対策が必要である。
(伊藤 和男)
歌枕調査研究報告
東日本大震災いらい災害伝承としての地名や地域の教訓などの重要性が見直されている。歌枕「末の松山」こそ、まさしく貞観大津波の情報をもたらすものであった。それをいち早く指摘したのは地震学者のロバート・ゲラー氏である。氏が根拠にした歌は淸原元輔の「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは」(『後撰和歌集』『百人一首』)であったが、それには元歌がある。すにわち『古今和歌集』巻二十の「東歌(あずまうた)」で、詞書きに「陸奥歌(みちのくうた)」と称されている「きみをおきてあだし心をわが持たば末の松山波もこえなん」である。まずはこの歌に着目しなければならない。末の松山はけっして波が越えることがないという前提で詠まれている。その波が貞観の大津波であるという根拠を探るために本年2月に現地踏査を実施、多賀城市を中心に仙台市、塩竃市周辺で行なった。
最初に仙台湾岸の荒浜から仙台港へと北上し、多賀城市八幡の「末の松山」にいたる約8kmの仙台平野における平成大津波の現状を調査。その結果すでに復元されている貞観大津波(「仙台平野における貞観11年(869年)三陸津波の痕跡高の推定」『地震』第43巻所収)の痕跡跡とほぼ一致することを確認した。さらに「末の松山」の丘陵の麓の八幡二丁目には3m以上の波が押し寄せたが、松山には津波が及ぶことがなかったことが判明した。「末の松山」が丸く突き出た小山であり、みごとに津波を免れていることは『東日本大震災 津波詳細地図』によっても確認できる。近くに歌枕「沖の石」があるので、かつては「末の松山」の近くまで海であったことが推測できた。
そして「末の松山」の奥、北西1kmの広陵に多賀城址がある。この地点は「末の松山」より内陸なので津波は到達していない。貞観大津波は『日本三代実録』に記録されており、おそらく多賀城から都に報告されたものと思われる。東歌であり陸奥歌である「末の松山」の歌も貞観大地震の後、多賀城からもたらされたものにちがいない。
以上のように現地踏査とその考察によって、「末の松山波越さじ」は貞観大津波の災害情報だったことが明らかとなった。今後、もう一度現地踏査をしたいと思う。民謡として伝承されていないかを探査し、また絵図や古地図などを参照してさらに研究を進めつつある。
(片岡 智子)
2012年9月