成果報告
2011年度
七月七日の習俗について
- 大阪大学大学院文学研究科教授
- 武田 佐知子
(1)研究の成果または進捗状況
本研究「七月七日の習俗について」は、前年度に実施した「創唱宗教における民間信仰受容による変化の総合的研究」を進展させたものである。研究テーマの外形変化は、研究の方向性を明確化する意図に由来しており、前年度の研究体制と研究手法の基本はそのまま継承している。中間報告でも触れたように、従来の歴史学と民俗学が役割分担したかのように研究対象としてきた創唱宗教と民間信仰の研究の狭間には、両学問間の連絡体制の不備から落ち込んでしまった多様な信仰形態が存在する。それらの信仰の特徴を限られた研究期間で解明するために研究対象の絞り込みが必要となり、研究の方向性を確定させる議論の中から、七月七日の習俗を取り上げることの有効性が浮上した。それは、七夕の起源・役割・行事の内容等に関する理解に学術的な統一性や共通性が希薄で、七月七日の習俗を全て七夕の習俗と同一視する安易な解釈が定説化している実態が、研究を進める中で明確になったからである。本研究における成果の中心は、七月七日の習俗の多様性の確認であり、当該日の行事は神や仏なども含む多様な信仰によって形成された複合的な所産であるという特性を具体例によって指摘できたことにある。
(2)研究で得られた知見
七夕についての従来の理解は百科全書『古事類苑』に記されるように、我が国古来の棚機女に中国から伝わった牽牛織女伝説と乞巧奠が習合したものとされる。しかし、文化庁による民俗行事調査『日本民俗地図Ⅰ』(1969年、国土地理院)で示された七月七日の習俗は、「盆」「精霊迎え」「井戸替え」「施餓鬼」「ネブタ祭り」など、従来の理解からは容易に導かれない多様な内容を含んでいる。「盆」「精霊迎え」「井戸替え」「施餓鬼」は仏教、「ネブタ祭り」は道教の受容を背景としており、七月七日における信仰の重層性は明らかである。また、北野天満宮で七月七日に行われる御手洗祭が「第一重事」の神事であると室町中期の『満済准后日記』が伝えることは、天神信仰においても七月七日が中世以来重要であったことを示している。一方、『続日本紀』が古代の国家儀礼として七月七日の相撲の節会を記述することや、江戸幕府の正史『徳川実紀』が当該日の贈答品として素麺のほか初鮭や鯖料を献上する習慣を書き上げる意義について、これまで信仰の側面から十分に検討されてこなかった事実も研究を進める過程で同時に判明した。さらに文学における七月七日を『万葉集』に探ると、異説の多い「月人壮子」を七夕の和歌にも見出すことができる。それを月読命と同体とする説に従えば、古代の神話世界における七月七日の重要性が問題になる。しかし、天文学の観点からすれば、旧暦七月七日の南天に天の川が立ち上がり、上弦の月がその西に位置する夜空に対して、月を船に見立てる修辞と捉えることが可能である。
(3)今後の課題
このように七月七日の習俗は実に多様であり、歴史学と民俗学のアプローチだけでは解明が困難である。文学や天文学も含め、また、考古学や美術史学などの隣接分野の成果も考慮しながら研究を継続する必要性が再認識された。「町おこし」を目的とした現代の七夕の現地調査は、社会学との連携に新たな道を開く可能性もあろう。それらの調査研究を統合する学際的な視点が、七月七日の複合的な意味合いの解明に繋がると期待される。そして、その実施には、各学問間を連結する新たな研究方針の策定が課題となる。それは、総合的研究が当該日に関する散漫な記述の寄せ集めに陥る危険性を回避するために要件として機能するからである。今後は、そのような方向性を視野に入れながら、この個性的な一日の性格を引き続き考察し、各研究者の専門性を活かした論文集の刊行に結実させたい。
2012年9月