成果報告
2011年度
旅への欲求とその進化的起源に関する学際研究
- 琉球大学亜熱帯島嶼科学超域研究推進機構特命准教授
- 木村 亮介
本研究は、「旅」という極めて人文社会科学的な題材について、自然科学の分野、特に進化の視点から論考しようという試みである。自然人類学、生態学、心理学、遺伝学、理論生物学などの専門家がそれぞれの分野における知見を持ち寄り、「なぜヒトは旅をするのか」という命題に対しての仮説を提唱することが目的であった。
他の動物における移動と比べてヒトの旅の特殊性を考えたとき、旅は「生活圏からの意図的な逸脱」と定義できる。他の動物にみられる季節的な移動は、移動範囲は広いものの、それは全て生活圏といえる。「なぜヒトは旅をするのか」という問いは、「なぜヒトは生活圏から意図的に逸脱するのか(できるのか)」という問いに言い換えることができる。
ヒトが生活圏から逸脱できるのは、ひとえに高度な学習能力・行動適応能力に依るところが大きい。つまり、ヒトに特異的な大きな脳が新天地での適応を可能にしているということになる。この意味において、「なぜヒトは旅をするのか」という問いは「なぜヒトだけが大脳を発達させ得たのか」という人類学上の大命題とも関連することになる。
逆に、旅をすることが大脳進化に貢献したかもしれないという可能性も理論研究から示唆されている。安定した環境に生息する動物は、高度な学習能力を必要としない。変動する環境に身を置くことによってはじめて高度な学習能力が進化し得るというものである。とすると、ヒトにおいて「旅」と学習能力は相乗的に進化してきたという可能性も考えられる。
では、初期のヒトにおいて生活圏から逸脱することのメリットとは何であっただろうか。おそらく、それは新しい資源の獲得、あるいは他集団との交流であったと考えられる。資源は、道具や装飾品の作成に必要なものであり、交流は新しい技術を獲得する上で重要であったに違いない。資源や交流は、高度な認知機能や社会性が発達してはじめて意味をもつものであり、ここにヒトだけが生活圏から逸脱し、他の動物がしない理由があると考えられる。
旅への欲求、つまりヒトが旅をする内的要因のひとつは、好奇心である。ヒトが好奇心をもつことの意義を進化的に考えると、新しい資源や技術を獲得するチャンスが増えることでその個体が繁殖に有利になるからということになる。
このように論考していくと、「旅」というヒト特有の行動が、学習能力、社会性、好奇心といったヒト特有の様々な能力とその進化にも密接に結びついていることがわかる。つまり、「旅」を切り口とすることで、ヒトの本質がみえてくるのだ。ヒトと類人猿を分けたものは何か。その答えは未だ明らかではない。ただ、ひとつ言えることは、ヒトにみられる数々の特異性は決して独立ではなく、互いに密接に関連しているであろうということである。今後、これまで別々に研究されてきた現象を結び付けるような包括的な研究が必要となる。そして、ヒトと類人猿を分ける引金となった要因を明らかにしたいと願っている。
2012年9月