成果報告
2010年度
中国沿海部ムスリム社会の「公共空間」についての研究
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原理、類型、関係
- 神戸大学大学院国際文化学研究科教授
- 王 柯
近代的社会が成立するにあたって、もとも重要の要因は社会正義の実現である。しかし、社会を構成する個人はそれぞれ自分の欲望があり、そのため、公共の調整する装置が必要となり、「公共権力」--「公共行政」が誕生する。ところが、公共権力機関は支配者の権力維持の道具でもあり、公共行政の執行者としての官僚が同時に「公人」と「私人」の性格をもつという二つのことによって、その調整役を必ず果たせると言い切れない。成熟した社会では、公共権力と「私人」との間にいつも緊張関係が存在するというわけではない。これは、民衆の願望がある程度に公共権力の政策決定に反映されている証拠である。ユルゲン・ハーバーマスによる公共性概念が発見される社会的空間としての「公共圏」についての学説は、民衆の声はいかに公共権力によって発見されたのか、という問題に答えることができる。しかし、ハーバーマスの学説は西側、つまり新聞と言論の自由をある程度に享受できる国々以外ではそのまま応用できない。明らかに、これらの国家における「世論」は本当に民衆の利益を代表するものかどうかは、不明瞭な部分がある。また、西側諸国以外の国家において「公共圏」で形成された「公共性概念」が、いかなるパスを通って公共権力による政策決定のプロセスに入ったのかについても、検討する必要がある。そのため、ここにおいて社会の正義を実現させ、社会成立のプロセスがあるとすれば、その最も重要な条件は、いわゆる世論を形成する政治的公共領域ではなく、最大公約数の社会正義をいかに構成させ、そして集約できる社会装置がなにか、とそれがセットされているかどうかということである。
「陳埭回族」の社会的、また社会学的意味は、このような社会装置を備えていることである。具体的に言えば、すなわち「陳埭鎮回族事務委員会」という独自の試みである。中国は多民族国家である。少数民族としての利益を保護するため、彼らの利益要求の代弁者が必要である。陳埭の回族にとって、この代弁者はつまり「回族事務委員会」である。回族事務委員会は「民族」アイデンティティの主張を通じて陳埭回族が一つの利益共同体としての存在が確認し、また老年人協会との関係を通じて一種の「擬似的宗族」を実現し、さらに「回族社区」を通じて地域社会ネットワークを作り出して、よって「民族」、「宗族」と地域の民衆の要求を集約し、それを公共権力による政策決定のプロセスに反映させている。その上で、「民族」の、「宗族」の、そして「社区」の声を代表する窓口として、「回族事務委員会」は事実上圧力集団となり、その政策が実行するよう公共行政を催促、監視することになっている。
「民族自治」の道、換言すれば「民族」を「公共権力」と結合させるような道を選ばず(事実上選ばせられなかったこと)、「民族」、「宗族」と「社区」を建設することになったため、陳埭回族ははじめて個々人の利益を「民族的」要求へと変え、公共権力に伝えることができた。しかし、その要求を公共権力による政策決定プロセスに入れることができた理由は、「回族事務委員会」と政府との間に密接な関係が築かれたことである。事実上、「回族事務委員会」は「民族」的、「宗族」的、また地域的組織ではない。「回族事務委員会」は民間結社としての登録手続きも行わず、一部の公共行政の職能すら持っている。しかし、まさにこの性格、このような公共権力との至近距離によって、「回族事務委員会」は単に「民族」の、「宗族」の、そして「社区」の代表だけではなくなり、より広範な「公共性」を持つものにもなったのである。このため、あらゆる民族、宗族と地域的ルートを通じて「回族事務委員会」に集約されてきた要求は、「民族的」、「宗族的」と「社区的」という名分でありながらも、ほかの民族、宗族と地域の利益を損なわないという大義名分を前提にはじめて公共権力に伝えられ、「回族事務委員会」によって濾過された民族的、宗族的と地域的な利益は、はじめて社会の「正義」となるのである。この意義から言えば、まさに「回族事務委員会」の誕生と存在によって、ほかの民族、宗族、社区との対立が避けられ、陳埭地域の経済繁栄を支える社会の安定という基礎は築かれたのである。
「民族」、「宗族」、「社区」と公共権力との間にあるということによって、「回族事務委員会」はより広範な公共性を持つことができ、まさに「第三の公共空間」とも言える存在となったのである。このような「第三の公共空間」にこそ「正義」が存在することは、中国の特色であろう。「回族事務委員会」は「公共性」の要素を持ち続けた理由は、その自身が公開、公平、公正的な制度を持ち、または自身の性格によって持たされる、あるいは持たなければならないことにもある。たとえば、「回族事務委員会」の選挙時期は必ず村民委員会と村党委員会の選挙後になることになっている。それによって、委員たちは事実上二回、あるいは三回の選挙を得てはじめて誕生する。これらの公開、公平、公正的な手続きによって、「回族事務委員会」は権威を身に付けることができた。また、「回族事務委員会」は会員制度がなく、それによって委員会はあらゆる陳埭回族にオープンし、よってあらゆる陳埭回族をより広い公共利益に近いかたちで、より社会の「正義」が示されるように自分の「民族」的要求を提出するようにさせたのである。こうして、「民族」、「宗族」、「社区」と公共権力との間にある「回族事務委員会」、そして「陳埭回族」は、「公共的空間」に変身したのである。陳埭の「回族事務委員会」、「陳埭回族」による「公共性」、及びそれを促した「公共的空間」の意義は、中国の民族問題だけではなく、社会安定の維持することにもひとつのモデルになることにもあると思う。
本研究プロジェクトは、これまでの研究を通じて以上の共通認識を得、現在メンバーたちは各側面から最終報告書をまとめながら、次年度「中国沿海部ムスリム社会の公共空間における平等性と公平性についての研究」の準備をしている。
(2011年9月)