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研究助成

成果報告

2009年度

近代大阪の工芸に関する総合的研究

大阪市立美術館館長
篠 雅廣

 「大阪にも工芸があったのか」という問いに応えるために始めた今回の調査で判明したことの一つに大阪発行の雑誌があったことである。『日本漆器新聞』(大正12.-昭和8継続誌の『汎工芸』昭和9-昭和19)、『大阪之工芸』(大正14.3-昭和11 継続誌『工芸情報』昭和15-昭和19)、『汎究美術』(昭和16-17、後継『阪急美術』、『美術・工芸』『日本美術工芸』)である。年代的な位置付としては、建築の雑誌『建築と社会』及び一般誌『大大阪』とほぼ並行しており、東京発行の『帝国工芸』や『工芸ニュース』より早いことになる。しかし、京都の『京都美術協会雑誌』継続誌『京都美術』よりははるかに遅い。現在この三誌は公立図書館、大学図書館などに分散しており、今回の調査はまず最初の二誌の電子データ化を行うことから始め、公立機関に所蔵されているものはすべて収録した。
  次に試みたのは、現在活躍している作家からの聞き取り調査であった。金工では角谷征一、中島保美、馬渡喜穂、羽原一陽、陶器では吉向松月、漆芸では徳力康乃・竜生、川端近左、竹工芸では田辺竹雲齋、染織では橋田青也、宝飾では生駒伸夫(生駒時計店)、それに『汎工芸』編集者柴崎風岬の子息柴崎泰の諸氏と続けた。聞き取り結果については報告書に記載する予定、田辺氏から頂いた「竹工芸史」(未定稿)も報告書に収録する。
  個別調査では、宮島は特に明治期内国勧業博覧会出品者(陶器、金属器)について調べ、陶器では五十嵐信平、吉向治平、津汐吉三郎、湊吉平、淡陶株式会社の民窯、藪政七(明山)の輸出薩摩焼、金属製品では高尾銅器店の銅器、吉年商店、大國大吉(柏齊)の鋳鉄製品、山口丹金合名会社の金銀細工、中村半兵衛(錫半)、島佐商店の錫器、高木鶴松のアルミ製品、板尾新次郎の自在置物、吉田新造(至永)の彫金の存在を明らかにした。彼らは商人、工商、工人であり、大國、板尾、吉田以外は全体としては商業的傾向が強い。江戸期以来、大阪は全国からの物資の集散地として、自前で工芸を発達させる必要などなく、逆に工商が活躍することにもなったといえる。
  明治以降の近代化の運動勃起とともにこの動向は変質する。後藤は、十五日会(三越大阪支店、1913-1917)、阪急工美会(阪急百貨店、1929-?)、精美会(後の巧芸社)(十合、大丸、1925-?)、無絃社(帝展作家、1929-1935)、創工社(杉田禾堂ら、1935-1939)、形象工芸院(無絃社と創工社の後継、1939-1941?)などの工芸団体を通じて、その間の状況を調査し、新しい文化の発信地となり始めていた百貨店が主導を握ったことが明らかにした。そうしたなかで、東京、京都、大阪の工芸家を集めて十五日会を組織した三越大阪支店の北村直次郎(鈴菜)や、さらに、『日本漆器新聞』、『汎工芸』を編輯、発行し、京都、大阪の工芸家の活動を支援した柴崎風岬という文化仕掛け人、コーディネイターという如き人が活躍していることが明らかになった。行政の側でも大阪府が工業奨励館を設置、その工芸産業奨励部に東京から杉田精二(禾堂)が赴任し、昭和に入って大阪の近代工芸運動の中心となり、工芸における商業的風土を近代工芸へと変質させて行く。
  一方、工芸需要の面から、下村は『汎究美術』を手がかりに、茶道、茶会、茶具を通じた陶器、漆器、竹工芸の作品調査を行った。この他、土井は漆問屋芝川又右衛門関係の調査を行い、土田、猪谷も各テーマについて調査を行い、最終的には報告書に掲載予定である。以上、今回の調査によって一部新資料の存在がわかったことにより、今後の調査を進める基礎ができたと考えている。
2010年9月
(敬称略)

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