成果報告
2008年度
日本橋川沿いの水辺空間の変遷過程に関する研究
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21世紀日本のよりよい都市景観の構築を目指して
- 法政大学デザイン工学部教授
- 陣内 秀信
本研究は、幕末から現在に至る日本橋川沿いの水辺の空間を対象に、河川とともに育まれてきた建築や橋梁、橋詰広場、石垣といった水辺の景観を形づくっている歴史的なストックについて、実測等の現状調査を通じて徹底的に掘り起こすとともに、現在に至るまでに破壊あるいは消失した景観や空間の復原を試みることで、水辺空間の変遷過程を明らかにするものである。それは、将来の景観形成において、歴史的なストックを活かした水辺の再生、すなわち異なる時代につくられた様々な水辺を彩る構築物が積層して成り立つ水辺空間の積極的な活用が、きわめて重要な役割を果たすという認識にもとづいている。なお、本研究は継続研究であり、昨年度の現状調査で得られた成果を基礎としながら、今年度は幕末から現在に至る河岸地の変遷過程を仔細に解明することに主眼を置いた。
水辺に面する土地は歴史的に河岸地と呼ばれ、江戸時代においては幕府の所有する公儀地であったが、明治以降は東京府、東京市、さらに東京都に、その所有権が移管されていった。これは、河岸地が時代を経ても公有地であったことを意味しているが、江戸時代には町人地に付随した地先の土地として借地が認められていた河岸地が、明治以降、徐々にその性格を弱め、地先の土地から独立した土地に変化していく過程でもあった。こうした河岸地は、明治初期には地割が再編されることは少なく、西洋風建築が展開することはきわめて限定的であったが、明治後半から昭和初期にかけて、隣接する河岸地を同一の借地人が借り受け、一つの敷地として利用するケースが進展していった。そして、このような場所には西洋の技術・材料・デザインを取り入れた近代建築が出現し、オフィスや銀行、店舗等の新たな機能をもつ建築が展開した。また、煉瓦やコンクリートといった新たな材料の普及により、建築の耐水性が向上し、ヴェネツィアの水辺建築を彷彿とさせるような護岸と一体となってデザインされた西洋風建築が登場し、新たな水辺の景観を演出した。その結果、従来の土蔵造の建物が並ぶ景観に比べて、より華やかな水辺に開かれた景観が形成されたのである。
一方、戦後は一転して、水辺空間にとって受難の時代を迎えた。戦後まもなくの「東京特別都市計画埋立」の実施により、日本橋川と接続する掘割の大部分は戦災による瓦礫でもって埋め立てられ、姿を消すことになった。また、1960年代に入ると、当時、各地で大きな被害をもたらしていた台風による水害の予防策としてコンクリートの防潮堤が整備された。現在見ることができるコンクリート護岸は、この時期に整備されたものが多い。さらに、東京オリンピックを契機に首都高速道路が川上を覆ったのである。
なお、本研究は建築史学・都市計画学・歴史学・建築計画学・空間情報解析学といった異なる専門領域のメンバーで進めているが、河岸地台帳をはじめとする河岸地に関する各種データはデジタルデータ化し、GISを用いて一元的にデータ構築することを試みている。これにより、メンバー間で数多くのデータを共有しながら、それぞれの視点から分析を掘り下げられるとともに、より幅広い視野に立って考察を深められることを確認しつつある。しかし、データ構築の現状は一部の河岸地に限られており、今後は日本橋川沿いの全ての河岸地に関してデータを整備していくことが課題となっている。最終的には、構築されたデータをもとに、各時代の日本橋川沿いの水辺空間の全体像を様々な角度から描き出した上で、将来のヴィジョンを導き出すことが目標である。
2009年9月
(敬称略)