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研究助成

成果報告

2007年度

新発見「豊臣期大坂屏風」の魅力
― オーストリア・グラーツの古城エッゲンベルグ城「東洋の間」と日本の間

関西大学博物館 館長
髙橋 隆博

1.本研究を進める上で2つほどの前提を整えるとともに、共同研究者間で確認した。第1に、屏風の名称を「豊臣期大坂屏風」から「豊臣期大坂図屏風」へと改めた。第2に、屏風が8枚のパネルとしてエッゲンベルク城に収められている現状は、日本ならびに現地オーストリアでの研究を進める上で不都合であるので、原寸大に複製した屏風のレプリカを作成した。
 
2.第一の課題である「豊臣期大坂図屏風」の解読については、以下の諸点が議論された。(1)景観年代は望楼型の天主閣、楼門形式の極楽橋などから1596〜1600年に限定され、現存する屏風としては「大坂夏の陣図屏風」と並ぶ貴重な作品である【図1】。(2)描かれた内容も八軒屋付近の魚市場など、近年の発掘事例と照合し、貴重なデーターを提供している【図2】。(3)制作年代については、景観年代と同じ頃という意見から、17世紀の中期から後期まで幅を見るべきだというに分かれた。(4)その場合、本作品が原本か、あるいは原本を写した模写本の可能性もある。(5)また現状の八曲一隻であるのか、それとも行方不明の右隻と合わせた八曲一双の可能性も捨てられない。(6)画像の中心に豊臣秀吉とそれに関わる人物・家紋が描かれ、秀吉物語として屏風を読む可能性も指摘された【図3】。(7)武士や市民の風俗については、今後の研究課題である。
 
3.第二の課題である日本からオーストリア・グラーツにいたる経路(屏風ロード)と現地での屏風の利活用については、ヨーロッパでの参照事例が少なく、十分に解明されていないが、バチカンやエボラ(ポルトガル)に16世紀に渡ったとされる屏風がいまだ確認されていない状況では、エッゲンベルク城の屏風が現存する基準事例となる可能性が高い。ヨーロッパへの渡来は、(1)スペイン・ポルトガルの旧教国による、(2)イギリスによる、(3)オランダによる、の三つのルートが想定されるが、(1)の場合には、ハプスブルク家と日本の関わりが重要となってくる。いずれにしてもヨーロッパでの屏風への関心の向上が不可欠で、積極的に発信する必要がある。ベルギーやグラーツでの発信は、その第一弾である。
 
4.屏風が8枚のパネルとして利活用されたことは、ヨーロッパでの屏風への関心のありようを示すとともに、本屏風を完全な形で残させた要因でもある。利活用にあたっては現地で何度か、修復の手が加えられているが、今後予定されている裏張り文書などの資料の分析、2000〜2004年に修復に当たったシェーンブルク宮殿スタッフとの協議を通じて、新しい情報が得られるだろうと期待する。

 
 
 

2008年8月
(敬称略)

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