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研究助成

成果報告

2007年度

1900-30年代日本における《作ること》の諸相とその精神史的意味

京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科 教授
伊藤 徹

本共同研究「1900-30年代日本における《作ること》の諸相とその精神史的意味」は、前年度当財団から助成された研究をさらに継続・発展させたもので、作るという人間の根本可能性と日本の近代化との関係を、工芸、建築、教育、社会学、政治、思想、文学の諸分野において追究したものである。まず報告しておくべきは、当初からの目的だった論集の原稿が全体の調整を終え、出版社の手に渡ったことである。年内の刊行を目指している本書・伊藤徹編『作ることの日本近代――1910-1940年代の精神史への眼差し』(世界思想社)は、以下の各章から構成されている。序・作ることの日本近代に寄せて(伊藤)/1深淵をなぞる言語――夏目漱石『彼岸過迄』のパースペクティヴィズム(伊藤)/2作り手の深層――柳宗悦における神秘と無意識(竹中均)/3「個性」の来源――萬鉄五郎・生ける静物(伊藤)/4近代的知の臨界 ―― 高田保馬の利益社会化の法則(荻野雄)/5〈生命〉探求の教育――小原國芳の修身科教授論(岡部美香)/6虚無のなかの構想力(秋富克哉)/7運動としての「模倣」――中井正一の挑戦(長妻三佐雄)/8神話の造形――保田與重郎と知・血の考古学(西村将洋)/9「手仕事」の近代――地方の手工芸と一九三〇年代(土田真紀)/10近代建築における「日本的なもの」と行為概念(笠原一人)。明治維新以来の殖産興業が成立させた近代社会のなかで、あらゆるものを有用なものとして作り出していく力が、それぞれの精神史的局面において、知識人・芸術家たちにどのような課題を与え、またどのような解決の模索を強いてきたのかを論じた本書の制作過程は、参加した研究者たちそれぞれに、新たな研究対象もしくは視角を与えるとともに、加えて共同研究全体にとっても、別な観点への移行を促している。作ることは、当該の日本近代精神史において、有用化の徹底が露出させた人間存在の基盤的空白を埋めるべく、「近代的自我」、さらに「日本的なもの」といった虚構を産出させた。そうした「神話」は、たしかに隠蔽的虚偽的性格をもつものだが、同時に作ることが作られざるものに向かって開かれていく可能性を示唆してもいる。このような可能性を、とりわけ語るという作ることの一つのあり方において探求することは、ロゴスをポイエーシスとの連関において反省するとともに、現代に続く目的の原理的不在の空間における生のかたちを考えるために、必要な作業だと思われるのであり、二年度に亘る助成によって育まれた共同研究を、今後そうした方向に向かって展開していきたいというのが、代表者として思うところである。以下に参加研究者(申請時の者に限定)の報告を記載しておく。
《工芸1》「作ること」をめぐる柳宗悦の思想と行動は通常、工芸や美術の分野を中心として論じられてきたが、その思想圏はさらに幅広い基盤を持っている。柳の思想の現代的可能性は、美の世界だけでなく、「作ること」「使うこと」の先にある領域、広い意味での「環境」問題においても考えられねばならない。本年度は現代日本の環境社会学の問題意識と1920-30年代の柳の思想とを結びつける試みを行なった。(竹中)。
《工芸2》ともに素人として作陶を開始した近代陶芸の先駆者・板谷波山と富本憲吉が示した対照的な姿勢を比較検討し、当初から高い技術の習得を目指し帝室技芸員に任じられた波山に対し、積極的にアマチュアリズムを実践し絶えず自らの素人性と向き合いながら、職人としてではなく芸術家として陶器をつくる意味を自らに問い続けた富本に力点を置いて、近代における「作る」ことの変容を考察した(土田)。
《建築》日本の近代建築において大きな課題となった「民衆」は、時にモダニズムの建築によって、また時にはモダニズムが否定したはずの様式建築によって表象されることになる。本年度は、村野藤吾を中心として、日本の近代建築が「民衆」をどのようにテーマとし、どのように表現してきたかを概観しつつ、近代建築による「民衆」の表象の困難さを考察した(笠原)。
《教育》美学・哲学から出発し京都大学・教育学講座の教授を務めた木村素衛の思想に焦点を当てた。教育学との精神的な距離が「表現的生命」たる実践的人間の営みとして教育を捉えるという独自の教育人間学のスタイルを生み出したこと、木村の美学論文と教育学論文とでは「作ること」の意味がずれていること、さらにそのずれに「モノを作ること」と「人間を形成すること」との相違が垣間見えることを明らかにした(岡部)。
《社会学》通常近代化肯定論者と考えられている社会科学者・高田保馬は、むしろ近代の乗り超えを意図し、その問題性の根源を、マルクスのように私有財産制にではなく社会内の「力」の存在のうちに見定め、この力が人口増に基づく利益社会化によって解消し別な社会の形が現れることを期待していた。だが高田の思考が、利益社会化推進のための積極的提言にもかかわらず、その克服を企図した近代的な「作ること」の論理に巻き込まれていかざるをえなかったことを批判的に検討した(荻野)。
《政治》日露戦争前後を境に「職業」と「職分」が分離していく過程を三宅雪嶺と幸田露伴の言説を中心に検討した。仕事を、単なる生活の糧を得る手段でなく、有機体的な社会との「つながり」を確認し天から与えられた「職分」を最大限に活かす場と見た露伴同様、雪嶺もまた「職業」と「職分」の一致を強調したが、さらに両者の乖離とともに「公益」と「私益」が分裂していくことへの批判から、新しい商業道徳論を展開しようとしたことに注目した(長妻)。
《思想》西田幾多郎の哲学思想において「作ること」の展開を跡付ける研究に取り組み、『善の研究』における「純粋経験」の創造的契機が、「自覚」や「場所」の立場の展開を経て、『無の自覚的限定』所収の論文「私と汝」で明確化する二重の限定、すなわち個物と個物、および個物と一般者の限定関係において、「他」の契機を取り込むことによって、決定的な一歩を進めたことを明らかにした。(秋富)。
《文学および美術》夏目漱石の語りにおける視点の研究を、『行人』および『道草』において行ない、併せて日常の構造とその言語化の可能性とを考察した。また漱石も共有していた芸術制作の基礎概念としての「個性」の源泉を、大正期の洋画家・萬鉄五郎の創作の歩みの追究によって探ってみた(伊藤)。
《文学》文芸批評家・保田與重郎が「神話」を形作る過程について、1930年代の評論を中心に考察した。その際、神話の意味内容ではなく、神話を作り出す〈語り〉のレベルに着目し、古典古代を語る保田の神話像の内側に、フランス革命以後の芸術観やモダニズム詩学が関与していた点を指摘した。また保田における神話の造形が、〈日本〉像の構築を遂行すると同時に、この像自体を解体する属性を併せ持っていたことを論証した(西村)。

2008年8月
(敬称略)

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