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研究助成

成果報告

2006年度

東アジアにおけるナショナリズム発現形態の研究
― 社会学的安全保障の観点から

慶應義塾大学法学部教授
山本 信人

 ナショナリズムと安全保障との関係は、近代国家の発展とともに強化されてきた。近代国家では、国家の安全を守ることが安全保障であり、そのために国民を動員するナショナリズムが活用された。また、社会福祉政策は、国民のための国家を実現させる制度であった。つまり、国家と国民との統合という幻想のもとに、相互依存関係を一致・進展させることが、近代国民国家の目的であった。
 しかし、グローバリゼーションの進展は、ナショナリズムと安全保障との関係性に新しい風を吹き込んできている。この点を検証するのが、本研究の目的であった。
 グローバリゼーションの進展は、国民であること、市民であることに新しい問いを投げかける。これが従来型のナショナリズムの再考を促している。グローバリゼーションによって、ナショナルおよびローカルな問題はグローバルな問題群と切り離して考えることが難しくなってきた。このことはナショナルな問題が重要性を低下させたということではなく、むしろグローバルな問題がナショナルおよびローカルな文脈で発現する現象が増加してきたことを意味する。同時に、このことは国民国家の相対化をもたらしながらも、国民国家という枠組みの再認識化を要請する。
 また、グローバリゼーションは、安全保障概念の再考をも迫っている。国家への脅威に対する対処としての従来型の国家安全保障は厳然として存在するものの、基本的人権に対する脅威への対処として人間の安全保障は軽視できない。同時に、市民であることが国家によって保障される特権から、市民の人権化を受けて、個人が国家に対して要求できる権利へと転用してきている。ここに、市民の安全を保障する社会学的な安全保障への眼差しの重要性が存在する。
 広義の東アジア(東・東南アジア)でも、ナショナリズムは多元的な発現形態をみせるようになった。本研究をとおして、三つの顕著な特徴が知見として浮上した。第一は、メディア・ナショナリズムである。これはメディアの越境性と「国民的」消費が進むなかで生まれてきたナショナリズムである。そこでは、内向的なナショナリズムが対外的な関係と直結する。2005年4月の「反日」行動・言説で表面化したように、日中韓の東北アジア諸国間の外交関係の不安定性は、過去の歴史の現在的な再解釈および国内政治社会動向と関連している。メディア報道をとおして日本では、中韓のナショナリズムは非合理的であり、暴力的であるという印象が深まり、それが日本国内の反動的なナショナリズムを刺激し、東北アジア地域の不安定化という安全保障問題ともなった。詳細については、大石裕・山本信人編『メディア・ナショナリズムのゆくえ』朝日選書、2006年、参照。
 第二は「反米主義」的ナショナリズムである。これは宗教的ナショナリズムの様相を呈することもあるが、そのために誤解を招きやすい。1990年の湾岸戦争以来、イスラームがマジョリティであるインドネシア、マレーシア、南部フィリピンでは、イスラームの擁護という名のもとで「反米」的な言説・行動が社会で顕在化するようになった。この動きは2001年の「9.11」によって拍車がかけられた。しかし、他方で、米国主導の「テロとの闘い」のネットワークのなかに東南アジア諸国も参加することで、各国政府は自国内のイスラーム過激派を抑圧し、穏健なイスラームとして証明する動きが定着した(イスラームの国民化)。ここには、米国との協調政策をとる東南アジア諸国の安全保障的発想を垣間見ることができる。
 第三は、人間の安全保障が国家と市民に投げかける問題である。事例としては、Trafficking(人身取引)の問題化と取り組みがある。2003年以降、反人身取引法は、東アジア各国で制定・施行されるにいたった。人身取引撲滅に向けては各国政府と警察との協調関係の構築が必要であることはいうまでもない。しかし、反人身取引法は各国ベースで制定されるために、刑罰の相違ばかりではなく、法律の抑止力自体に負の影響がある。ここには各国の法文化が反映されているという点でナショナルな問題を含んでいる。同時に、「外国人」に対する低い意識が潜在化している日本社会に対する警告がある。そこでは、ナショナルな視点から排他的に国民を保護するのではなく、コスモポリタンな視点から包括的に市民を保護する国家の役割が求められている。

(敬称略)

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