成果報告
2006年度
英国・日本の製鉄産地の流通による都市の発展過程の比較文化調査
- NPO まちづくりビジネス支援ネットワーク専務理事
- 藤原 洋
中国山地の豊富な砂鉄と山林を有する奥出雲地方は、言うまでもなく製鉄業の原材料に恵まれていた。その技術が素朴であればあるほど、それは自然環境に密接であるといわれるが、工場としての山内や流通拠点の「町」部の発展過程も、砂鉄と木炭という原材料の供給と製造、そして流通に適した地形によるところが大きい。
島根県雲南市吉田町において鉄山経営を行ってきた田部家では、戦国時代を目前にして鉄の需要が増え、その需要に応えるように生産が規模化し、それに伴ってふいごや炉の改良や鉄穴流しの技術革新が大きく進歩した。また、近世を迎えてからは、全国各地で農業生産拡大の需要から農具の発明や改良が進み、優れた鉄を使った農具の需要が増加した。
一方で、江戸幕府の勧農法度や農民定住の定め、幕府による鉄の専売や、藩の御買鉄制度、鉄穴流しの禁止令と制限及び許可、鉄師頭取の制度など、鉄山経営が幕府や藩の政策に大きく左右されていることも明らかになった。
鉄山経営者は藩の規制を受けながらもその財政を支えるという均衡の中で営まれたといえよう。
これは、鉄が原材料となって製造される武器生産においても同様であった。特に、江州国友においては、出雲の鉄を原料に使用した鉄砲鍛冶が栄えたが、戦国時代から江戸時代にかけて、時の権力者からの受注と保護により生産されたものであった。また、堺においては、有力な商人や寺院との結びつきにより鉄砲などが生産されている。国友や堺へ鉄を搬入したルートは、日本海側の敦賀経由と瀬戸内側の大阪経由の両方があった。
また、農具としては、会津藩から松江藩を通じて鉄の要求が見られる。田部家の鉄は、福井県三国港との交易があるが、すぐ近くには優れた鎌の産地として知られる武生がある。出雲の鉄は、時代の要求に応じて、武器や農具へと加工されていったことが伺える。
また、奥出雲地方の鉄生産においても、国友や堺、武生、備中長船における鉄加工業においても、社会的需要に応えるため、生産拡大に大きく寄与したのが技術革新と社会的分業の発達という点にも注目したい。
奥出雲地方においては、地域社会における鉄山師のあり方と地域の発展過程にも影響している。奥出雲地方の「御三家」のなかで、田部家は社会的分業を一手にとりまとめた経営者であり、他の鉄山師とは異なる手法も見受けられる。
また、その加工を行う国友や武生、堺においても、社会的分業のあり方が都市の形成や技術の発展の仕方に与えた影響は少なくないといえよう。
今回の調査において、鉄生産や加工生産の中で、時代における需要と供給、そして権力者との関わり、経営方法と技術体系が都市の発展のあり方を方向づけてきたことが各地において共通して明らかにされた。今後、産業遺産の上に立って地域再生を図るにあたり、大いに注目すべき点であると考える。
(敬称略)