成果報告
2006年度
近世後期の文人についての総合的研究
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小石元瑞を中心に
- 神戸大学国際文化学部教授
- 影山 純夫
本研究は京都の医家小石家の究理堂文庫を調査し、その所蔵資料から近世後期の文人の豊かな交友活動を明らかにした。
本年度は、2005年度から引き続き進めてきた資料調査に基づき、その成果を公開するため、2007年6月5日から10日まで「文人と煎茶 ─小石元瑞とその周辺」と題して野村美術館(京都市左京区)の地階展示ホールに於いて展観を行い、それに伴って論文五篇を含む図録を刊行した。
展観の内容は、京都の医家小石元俊(1743〜1808)とその嗣子小石元瑞(1784〜1849)の交友を示す書画作品十七件および煎茶具・文房具など十八件である。
小石元俊は、医学史においては、江戸時代後期に蘭学を関西に広め、解剖技術に優れていたことで知られる。また、医学塾究理堂を設立し、多くの後進を育てた。交友は広く、淡輪元潜、永富独嘯庵、杉田玄白、大槻玄沢ら医家のみならず、皆川淇園、慈雲、頼春水、篠崎三島、浦上玉堂、木村蒹葭堂などの儒家や画家の名を挙げることもできる。吉村孝敬筆・頼春水賛「小石元俊像」(文化4年)、原在中筆・佐野山陰賛「董奉杏林図」(享和2年)、慈雲筆「孤明歴々地」はその交友から生まれた作品である。
小石元瑞は病弱だったが元俊から厳しく育てられ、漢蘭折衷医となり、究理堂を継いだ。元瑞も儒家篠崎小竹、頼山陽、画家田能村竹田を始め、多くの文人と交友があった。開業していたため、友人は患者となり、究理堂文庫に伝わる診察記録はそのまま交友記録ともいえる。自宅での診察・往診・医学塾究理堂での指導と多忙な中、漢詩・書・煎茶・茶の湯などに親しんだ。
小田海僊筆・小石元瑞賛「小石元瑞像」(弘化3年)、篠崎小竹筆「拙翁小石先生挽詞」(嘉永2年)、市河米庵筆「仲公理楽志論」(文化12年)、頼山陽筆「杜氏用拙五律」、山本梅逸筆「雅集図」(文政7年)、細川林谷「山水画巻」(天保2年)、中村荷菴筆「煎茶図」の元瑞筆「添状」、田能村竹田筆「新竹図」、浦上春琴筆「墨蘭図」などは元瑞の交友を示す作品である。
次に図録収載論文を紹介する。(1)一海知義「陸放翁詠茶詩初探─名茶抄」:中国宋代の詩人陸游(放翁は号)は日本の近世後期の文人に好まれた中国詩人の一人である。元瑞や山陽の詩集にも陸游の詩の韻を取って作詩をしたものが散見される。究理堂文庫には陸游撰・大窪詩仏行・山本北山校『放翁先生詩鈔』(享和元年刊)が収められている。本論は陸游の詠茶詩を、具体的に北苑茶・日鑄茶・顧渚茶などの名茶がどのように詠まれているかを分析したものである。(2)大槻幹郎「傳家墨寶詩巻」:「傳家墨寶詩巻」は、伊藤仁斎・伊藤東涯・山県周南・高野蘭亭・百拙和尚・大典禅師らの詩や書八点からなる巻子本である。従来、元俊・元瑞の世代から溯るこれらの作品がどのようにして集められて小石家に入ったかについては不明とされてきた。元瑞の釈文によれば、詩書のほとんどは京都の大町人那波家第四代古峰(1652〜1699)と弟裕長二人の交友から生まれたもので、七代南陽のときに二点を加えて元俊に贈られたという。また元俊の代に貼り混ぜ屏風であったものを元瑞が巻子に仕立て直したことも明らかとなった。(3)魚住和晃「究理堂文庫の慈雲」:慈雲(1718〜1804)は大坂生まれの真言僧で、諱は飲光。密教だけでなく、戒律や禅学、神道などを学び、独自の教学作り上げた。『梵字律梁』一千巻をはじめ『十善法語』など百数十の書を著したことで知られ、尊者とも呼ばれている。元俊・元瑞ともに参禅し、究理堂文庫には慈雲の墨跡が17件収められている。これら書作品の制作動機が、関係者の要請にあることを書表現および署名の有無に注目して指摘した。(4)影山純夫「三点の中国絵画」:究理堂文庫に収められている二十数点の中国絵画から三点を取り上げ、その作品を通して行われた文人の交流を紹介した。劉際可「陶淵明像」は、箱書によれば元瑞が画家浦上春琴に贈ったが、春琴の没後小石家に返されたという。董其昌「山水画」は、病気の元瑞を見舞いに訪れた篠崎小竹に元瑞がこの画を見せたことが箱書に記されている。陳曾則「蘭竹水石図」は元瑞の友人八人の箱書や跋文が添えられており、当時垂涎の的であったことが窺われる。特にこの作品に注目が集まったのは、作品がもつ「士気」が彼らを引きつけたのではないかということを指摘した。(5)舩阪富美子「小石元瑞の煎茶具にみる交遊─究理堂文庫蔵煎茶具と煎茶具目録より─」:元瑞所持の主な煎茶具は究理堂文庫蔵の煎茶具および元瑞筆煎茶具目録『茶具厨並平生心賞架品目』収載具である。これら煎茶具の特徴の一つは元瑞の交遊を示す情報が含まれることにある。箱書や目録からは、陶工青木木米・画家田能村竹田・浦上春琴・山本梅逸・小田海僊・儒家頼山陽・篠崎小竹ら友人のほか、親族や門人の名を上げることができる。これらは元瑞が友人・親族を問わず、身近にいる者の多くと煎茶を介した交遊を行っていたことの証である。その種類は急須・涼炉・湯銚・水罐・品茶具・茶則・炭斗などの煎茶具だけでなく、水盂・墨・書灯の文房具、飾り物・奇石まで幅広いことも大きな特徴である。
今後は以上の成果を踏まえ、分野を拡大して究理堂文庫の資料調査を継続していく予定である。
(敬称略)