成果報告
2006年度
中国におけるADR(裁判外紛争解決手続)の可能性と東アジアの法形成
- 北海道大学大学院法学研究科教授
- 今井 弘道
本プロジェクトは、以下のような問題意識の下で出発した。
問題意識……現在、中国では、ADR(裁判外紛争解決手続)に大きな関心が寄せられている。本プロジェクトは、それに、基礎理論的な観点から関心を寄せている。即ち、主として、基層クラスの裁判に提起された紛争を、当事者の合意を基礎にしたADR(裁判外紛争解決手続)によって解決していくことが、国家法とローカルな生活慣習(郷土の正義)の間に存在するギャップを埋めていくことにつながる、と見る問題意識に発する関心からである。
アメリカや日本などの所謂法先進国における現代的な関心の対象となっているADRは、中国に於いても広く展開されているが、重要なことは、そこに同時に、紛争解決を通しての法形成という問題が含まれている点である。というのは、このような形で大量の紛争解決がなされていく場合、そこに「同種の事例には同様の解決を」という論理が働き、それが判例法形成と類似した形で、一般的な規範を形成していくことになる、と考えられるからである。
このような司法内在的な法形成の視点は、外国法をモデルとした外在的な観点からする法形成以上に、重要な意味をもちうるものであろう。ここには、現在の中国での最大の問題とも言える「法治」の実現問題に、政治的にではなく、司法の機能に内在して接近していくという可能性が秘められている。
われわれは、この点に着目して、中国におけるADRの現状と発展、その中での重要な事例についてのケース・スタディを進めると同時に、それを、ヨーロッパの「法源論」や「生ける法」論、また裁判論などの思想史的資源を踏まえて、基礎的な理論的検討の中で精錬し、中国におけるADRを通しての法形成の可能性の基礎理論を提供していきたい、と考えている。
この作業の中で形成される法形成モデルは、同時に、中国以外の発展途上国におけるひとつの重要な法形成のモデルになりうるものと考えられる。
経緯……このテーマについては、既に上海大学法学院の李兪青教授との交流の中でさまざまな意見の交換を行っており、そのなかで、上記のような問題意識が具体的な形で形成してきたのであるが、その具体的経緯については、省略する。
この問題意識を踏まえて、プロジェクトの代表である今井が「ネオ・エールリッヒ的な法形成モデル」の「正統性問題」(Neo-Ehrlichian model of law-evolution and its legitimacy)という問題提起論文を携えて、北京大学の朱蘇力・張騏両教授を中心とする北京大学法学院の研究会で報告し、意見を交換するとともに、議論を発展させるために、両教授を日本に招待した。
この経過を踏まえて、2006年9月、両教授が来日し、名古屋大学と北海道大学でシンポジウムを行った(両教授が用意されたのは以下の諸論文である)。
・蘇力論文 :「現代中国における国家法と民間法の研究」(A study about "state-law" and "social-law" in contemporary China)
・同 :「中国司法中的政党」(A political Party in the Chinese judicial system)
・張騏論文 :「中国における先例制度樹立の意義と段取り、および「‘判例法’質疑」への返答」(A meaning of constituting the judicial-precedent-system in China)
これに、今井及び寺田浩明・京都大学教授、鈴木賢・北海道大学教授がコメントを行った。
成果……これらの報告とコメントは、北海道大学大学院法学研究科の紀要『北大法学論集』58巻2号及び3号に連載・収録されている。
総括……さしあたりの形に現れた成果は以上であるが、今後このテーマは、中国における「法治」問題の核心に関わる問題として益々重要性を帯びて行くであろう。その意味では、本プロジェクトは、この問題についての今後の日中のわくに限らず、広い観点から、大きな意味をもつ問題提起になり得たと信じている。
なお、このプロジェクトは、現在も続行中である。続報を期したい、と思う。
(敬称略)