成果報告
2006年度
1910-30年代日本における《作ること》の諸相とその精神史的意味
- 京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科教授
- 伊藤 徹
本共同研究「1910-30年代日本における《作ること》の諸相とその精神史的意味」は、《作る》という人間の根本可能性が日本の近代化過程のなかで、どのような具体相を示したのかを、工芸、建築、教育、社会学、政治、思想、文学という局面において明らかにし、現代社会の基本構造の生成の解明に寄与しようという意図で企画された。それぞれのメンバーの研究内容は、以下に簡単な報告を掲載したが(括弧内がそれぞれの担当者)、七回におよぶ研究会を通じて共通の事象として関心をもたれたのは、それ自体ポイエーシスの先鋭化であるテクノロジーがもたらした人間存在の基盤的空白において働く、もう一つ別なポイエーシスの力であり、空白を埋めるべくそれが結ぶイメージであったと思われる。合理的な前者に対して、後者は虚構的もしくは神秘的なものといえるが、必ずしも前者への反動的現象ではなく、むしろねじれながらつながり、場合によっては前者を道具として使いこなしていくことさえ起こる。またそこから生ずるイメージは、時代の流れのなかで、大正期の個人主義的なものから、次第に「日本的な」ものへと変色していくが、「近代的自我」も「伝統」も、実体的なものとはいえず、この時代に新たに作られていったものであり、変色過程を生き抜いた人々の思考遍歴を辿ってみても、相反する二つの異質なイメージはつながっているように思われる。おそらくこれら連結のさらに根底にある力へと向かいつつ作ることの多様な発現形態を探査する試みとして、私たちの精神史的研究は、もとよりまだ未成熟であるが、今回の研究によって共同研究者間の情報交換・意思疎通のベースが出来上がり、関心をもつ研究者も更に加わって、より広い研究地盤を形成することができたのはまちがいない。今後の方向性は、いくつか考えられるが、明治維新から世紀転換期までと戦後民主主義の時代とをそれぞれやはり「作る」という観点で考えてみたいと思っている。前者に関しては、一部2007年度サントリー文化財団の助成対象として採択された研究計画に含まれている。なお上記研究の成果は、伊藤徹編『作ることの日本近代――1910-1940年代の精神史的風景』(仮題)として出版される予定で、まもなく全体の調整編集作業に入るところである。
《工芸1》民藝運動の創始者・柳宗悦の「作ること」を巡る思想は、宗教性と深い関わりがあった。そのことを幅広く理解するために、同時代の分析心理学者ユングの思想との比較を試みた。類似した文化現象に興味をもっていた両者は、ともに広義の無意識の発見者として捉えることができるが、これによって、柳の宗教性をより広い視野のもとで展開できると思われる(竹中)。
《工芸2》国立国会図書館、雪の里情報館(山形県新庄市)等で、商工省工芸指導所(仙台)、積雪地方農村経済調査所(新庄)ほか、1930年代に手仕事を巡る国の政策と関わった機関に関する資料の収集や研究者への聞き取り調査を行なった(土田)。
《建築》1930-40年代、日本の建築界では「日本的なもの」の探究が盛んであった。その多くは意匠的なもので、モダニズムと和風の意匠の共通性を論じるものであったが、なかには建築内での行為や体験のあり方に「日本的なもの」を見出し、それをモダニズムの機能主義に結びつけようとするものも見られた。本研究では、後者の言説や思考に着目し、そのあり方を明らかにした(笠原)。
《教育》大正・昭和期を通して活躍した教育思想家・実践家である小原國芳が残した著書・雑誌論稿のテクスト分析を通して、国民(臣民)の形成、とりわけその精神性の形成を担う科学・技術として教育が確立されていく過程を、1910-20年代の政治的・文化的背景を視野に取り込みつつ、解明しようとした(岡部)。
《社会学》若き高田保馬が抱いていた近代批判の構図およびその克服の道筋を、「消費社会」批判論文(1911年)やマルクスに関する先駆的な論文(1912年)、また階級を巡る様々な論考などの内に探り、そうした問題意識を1920年代半ばまでに形成された彼の社会学体系の秘められた核として取り出そうと試みた(荻野)。
《政治》根源的な自明性の喪失と対峙しながら、独自の秩序を模索した中井正一にとって、「模倣」とは特別な意味をもつ行為であり、しかもなんらかの実体を前提にした再現ではなく、むしろ「予期しなかった秩序」が現われてくる出来事であった。もっとも中井は、「気」やリズムに注目しつつ近代人が失ってしまった感応力に新たな秩序の可能性を見いだそうとする辺りに、秩序の基底に関わる微妙な問題を残している。ここでは中井の錯綜する秩序意識の根底に目を向けつつ、作ることを再検討した(長妻)。
《思想》三木清の構想力論を軸にその技術理解を考察する本研究では、人間の条件として語り出される「虚無」の具体像を明らかにするため、20年代末から30年代にかけての人間学的研究に特徴的な「虚無」に関する言説が当時の時代意識である危機や不安とどのように関係するのかをテクストをもとに検討した(秋富)。
《文学1》世紀転換期にほぼ同時にヨーロッパに滞在し交流もあった夏目漱石と浅井忠の同時代美術への態度を比較し、時代の切れ目を取り出すとともに、作ることの一つとしての語りの可能性に対してそれがもつ意味を検討した。また『彼岸過迄』のパースペクティヴイズムに着目し、語ることの別な可能性を探った(伊藤)。
《文学2》保田與重郎に関する資料(書籍・雑誌記事・研究論文など)の収集を行ない、先行研究の整理と、保田の造形思想に関する考察を進めた。加えて、研究会での口頭発表を通じて、新たな論点(神話の存在論)の必要性を知ることができた。この点については現在、保田と三木清との関連から考察中である(西村)。
(敬称略)