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研究助成

成果報告

2005年度

海を渡る女神たちの姿を読み解く
― 媽祖を中心とする航海神の図像史学的研究

大阪外国語大学外国語学部教授
武田 佐知子

1.研究経過
 本研究は、(1)中国・台湾・日本に所在する19世紀以前の媽祖(娘媽・天妃・天后)と関連神仏の図像データベースの作成と、(2)文献・民俗資料からの神格・霊験譚の変化と諸神仏との習合・並存の位相の検出作業を並行して行ない、(3)図像学的データと歴史学的検証結果の総合的考察から、東アジアの海に生きる人々の信仰の歴史的空間的展開を探る方法論構築を試みるものである。助成2年目にあたる本年度はこれまで、九州国立博物館、九州華僑華人研究会、共同研究者会議等で中間報告や意見交流を行いながら、(3)に向けて(1)(2)の成果のまとめる作業を進めるとともに、天理図書館、国立公文書館、長崎歴史文化博物館、福井県福井市・三国町、石川県加賀市、大阪府藤井寺、大分県臼杵市・佐伯市で補充調査を実施した。本研究は今年度で一区切りをつけるが、残された課題は多く、今後とも何らかの形で継続していきたい。なお、本研究の成果は、今秋開催される九州国立博物館開館特別展『海の神々―捧げられた宝物―』の展示の一部に反映している。

2.研究成果
A)古媽祖像年代論の足がかりを構築
 中国や台湾を含めて現存する古媽祖像の年代論は、伝承や観察者の経験的な勘に拠るものが多く、学術的な根拠に乏しかった。本研究では、収集た古媽祖像の画像と、天理図書館『太上説天妃救苦霊験経』(永楽12年)、『毘盧寺壁画』(嘉靖年間後期)、国立公文書館『天后顕聖録』(雍正三年)などの作成年代が明らかになっている文献や壁画の図像について比較検討し、年代観の決めてとなる服装・装身具・冠・髪飾等の形状などのポイントを抽出し、各媽祖像の作成時期の幅を限定していく作業を進めた。その結果、一部の古媽祖像については制作年代や時期の前後関係をある程度特定することに成功し、古媽祖像の年代論足がかりの一部を構築した。
B)近世日本における媽祖信仰の展開と背景の解明
 近世日本においては中国系住人だけでなく日本人の間にも媽祖(天妃)信仰は広がっていた。本研究では従来指摘のあった沖縄・薩摩・常陸・下北大間に加え、大阪・越前・宮城などで古媽祖像を、和歌山・下北蛇浦・壱岐で天妃信仰の痕跡を確認した。さらに近世文献の分析から、建造時に船大工が帆柱付近に封入する船霊とは別に、船の守護神としての船玉神信仰が金比羅や弁財天と並んで全国的に展開し、住吉神、猿田彦神、観音等の神仏と並んで天妃をこれにあてる説が流布していたことが判明した。その背景には船玉神を女性する船乗りの心性があり、天妃=船玉神信仰の発信地としては、薩摩野間・長崎・水戸に加えて大阪今宮・越前などが挙げられることも明らかにした。
C)天妃系船玉明神図像の発掘と廻船関係者への普及経緯の解明
 本研究では下北や越前において廻船問屋や船主宅に天妃をモデルとした船玉明神掛軸の存在を確認した。三国湊の豪商森田家の船玉明神掛軸には、船玉明神を中国福建の林氏の娘とする縁起や野間権現との関わりも書き入れられ、媽祖との関係が充分意識されている。またその背景として、廻船業者は旧正月に船頭以下の乗員を酒食を振舞い来季の契約を固める船祝という儀式を行が、この席に特別に船玉神の掛軸を床の間に飾られたこと、さらに天妃をモデルにした麗美な図像が好まれたことが判ってきた。奥田家の掛軸は幕末に京都の仏画工房で作成されたが、その源流が中国から禅宗寺院に伝わった水陸斎(死者供養儀礼)用の掛幅にある「天妃聖母衆図」にあるらしいことも判ってきた。
D)日本伝来の古媽祖像(付:関連する船の守護神仏像)画像データベース(試作版)の完成
 本研究が当初から目指していた中国・台湾・日本に所在する19世紀以前の媽祖(娘媽・天妃・天后)と日本の船玉明神など関連神仏の図像データベースは、PDFファイル版が完成した。もとよりこれは試作版であり、今後の研究の進展にあわせて、補充・改良によって、さらに充実させていく必要がある。

(敬称略)

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