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研究助成

成果報告

2005年度

新潟県旧山古志村における棚田開発史の研究

龍谷大学国際文化学部教授
須藤 護

 本研究は、新潟県旧山古志村における棚田の仕組みを明らかにしていくことを目的として、2005年8月から現地の実測調査、聞き書き、そして文献による調査を継続的に行なっている。第一次現地調査は2005年8月16日から8月28日までの13日間、龍谷大学から4名の共同研究者が参加し、現地からは2名が参加した。
 第一次調査では中越地震の被害が比較的少なかった虫亀地区を選定し、そのうちより復元しやすいと想定した金倉山の東斜面に広がる棚田を中心に、(1)水田、ため池、横井戸、湧水の位置の確認、(2)その水系系統図の作成、(3)現状の土地所有状況、(4)稲作に必要な諸施設、等の調査を行なった。比較的コンパクトなJPSを持参したが種々の事情で使用不可能になったため、基本的には1万分の1の地形図を下図とした。
 これと並行して棚田の開拓や補修に携わった経験のある古老から、棚田の維持管理、稲作作業の年間サイクル、水系と水の管理、ため池と養鯉、山の利用、等の聞き書きを行い、疑問点について解決の糸口を探るための材料にすると共に、すべてを記録として残すことで、先人たちの豊富な経験に基づくすぐれた知恵や、この地で懸命に生きてきた人々の足跡を残すことに勤めた。
 その一例として水と魚の問題がある。山古志村の棚田は水の取り方、水の扱い方が特徴的で、山が比較的小さいために保水力が乏しいこと、地すべり地帯であることから思わぬところから水が湧き出していること、横井戸を掘って水不足を解消していることなどが特徴として挙げられる。また年間をとおして水田に水を絶やさないことが棚田を維持する大切な条件になること、その水田やため池に真鯉を飼い蛋白源にしていたこと、これが突然変異して色鯉(錦鯉)となり、その改良を重ね村の生業にしてきたことなど、興味深いことがわかりつつある。ついでながら、8月28日は山古志村からの帰途、石川県曽々木の千枚田を見学し、山古志の棚田との相違点を検証した。
 9月以降は、水系図や土地所有図等の清書、聞き書きの整理を行うために、2週間に1度程度のペースで有志が研究会を開いている。文献、写真、地図等の整理作業が中心であるが、第二次現地調査の計画、報告書作成の編集方針、山古志村以外の棚田調査の計画等の話し合いも行なわれている。
 今後の計画は、3月下旬、もしくは4月上旬に行なう予定であるが、積雪、消雪の状況を見極めながら日程を決めることにしている。第二次現地調査の目的は、水系、聞き書きの補足調査を行なうと共に、明治期の土地台帳、地籍図をもとにして、農地解放以前の土地所有状況の確認、稲作を中心として農耕に使用した民具の実測、導入状況、使用方法、保管等の調査を計画している。なおこの計画は旧山古志村、および新潟大学、新潟日報の協力を得つつ、行なっていることを加えておきたい。

(敬称略)

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