成果報告
2005年度
日本の知的遺産としての洋食文化の研究
- 大阪大学大学院文学研究科教授
- 川村 邦光
日本の食文化において、洋食の占めている位置はきわめて大きい。しかし、これまで「食物史」のなかで、洋食もその一環として研究されてきたにすぎない。たとえば、昭和女子大学食物学研究室編『近代日本食物史』(近代文化研究所、一九七一年)や大塚力『「食」の近代史』(教育社、一九七九年)などといった研究書がある。また、カレーライスやトンカツなどの個別の料理に関する研究書も出されている。森枝卓士『カレーライスと日本人』(講談社、一九八九年)、岡田哲『とんかつの誕生』(講談社、二〇〇〇年)、小菅桂子『カレーライスの誕生』(講談社、二〇〇二年)などである。なによりも、“洋食”のコンセプトとはどのようなものであり、どのようなプロセスを経て、歴史的に生み出されてきたのかに関する考察がなく、洋食そのものの総合的な研究がほとんど行なわれてこなかったのではなかろうかと考えられるのである。そこで、本研究では、洋食をめぐる総合的研究は将来の目標として、洋食がどのような文化的な状況において生まれ、どのように展開していったのかについて調査・研究することを目指した。
『大衆文化事典』(弘文堂、一九九四年)には「洋食」も「洋食店(屋)」も項目として載っていない。カレーライスやトンカツ、ソース、ケチャップなどはあげられている。トンカツの項目で、洋食は「日本化した西洋料理」と説明されている。しかし、この「日本化」とはどのようなことかがはっきりと記されていない。西洋の文物が入り、それと対照されて日本というコンセプトが作り上げられたといえる。洋食の始まりとしてあげられる牛鍋(スキヤキ)は、実際には明治以前からある、猪や鹿などの獣肉を滋養として食べる“薬食”としてあったと考えられる。
福沢諭吉は、一八五七年(安政四)には牛鍋を大坂で食べている。それは、いわば和食であった。明治期にいたり、牛鍋は洋食の始まりとみなされることになる。『大衆文化事典』では、「牛肉の料理法は直輸入のロースト・ステーキなどではなく、日本化されて五分切りのネギと一緒の伝統的な鍋料理になっていた。(中略)もともと外来の牛肉を素材にしたすきやきも、現在ではわが国独自の肉料理」と記されている。牛肉は決して外来ではなかった。牛鍋は西洋人が食べて西洋のシンボルとなった牛肉を用いたために、西洋料理、文明開化を象徴する料理となったのである。肉類を用いる洋食・西洋料理の受容プロセスの背景には、この薬食の文化があったいえる。やがて西洋の食材や調味料、料理が日本に移入され、西洋とは異なった料理法によって作られた料理が洋食もしくは西洋料理となっていくが、まもなく洋食と西洋料理は区別されていくことになる。洋食屋の一品料理と西洋料理店のフルコースとにわかれていくのである。
この洋食が発生し成立していくプロセスは単純に「日本化」とはいえず、異種混淆(ハイブリッド)化といったほうがいいだろう。牛肉に対してもいえるが、脂身が好まれるようになったように、なによりも味覚が変化していった。また、新たな味覚が付け加わっていった。調味料による嗅覚、舌触りや歯ごたえといった触覚、そして鮮やかな彩りを楽しむという視覚が、洋食や西洋料理によって発達していった。洋食は演芸のなかに登場したり、歌の題材になったり、都市文化のシンボルになったり、洋食屋が西洋料理店が文化人のサロンになったりしたように、“洋食文化”を生み出し、近代日本の文化に彩りを加えていったが、このような点についてはあまり研究できなかったため、後の課題としたい。
(敬称略)