成果報告
2004年度
近代日本における女性の「嗜み」についての比較社会史的研究
- 京都大学大学院教育学研究科助教授
- 稲垣 恭子
(研究の目的)
本プロジェクトは、「たしなみ」という概念を軸に、その意味や特質についてとくに女性の「たしなみ」に焦点をあてて検討し、近代日本の教養概念を再検討することを目的としている。
明治以降、近代日本社会においては、教養は大学や知識人層の教養概念を中心にとらえられることが多かったが、日常生活の領域にまで浸透し、また家庭や教育を通して維持・伝達されてきた女性の「たしなみ」については、これまであまり積極的にとりあげられてこなかったように思われる。しかし、教養の衰退が話題になるなかで、女性のたしなみとしての教養が果たしてきた役割を再検討することは、現代の教養を考える上でも重要な視点を提供すると思われる。
本プロジェクトでは、まず日本における「たしなみ」概念を検討し、その前提となる身体観や教養観を検討し、それが近代日本の社会のなかでどのように位置づけられあるいは変容していったのかを、とくに女学校の教育と女学生文化、家庭の教育と文化、社交ネットワークに焦点をあてて考察していく。また、それらをフランスにおける女子教育と比較検討することによって、日本における「たしなみ」の意味と位置づけを明らかにすることが最終的なねらいである。
(研究組織)
稲垣 恭子 京都大学大学院教育学研究科・教授(教育社会学)
竹内 洋 関西大学文学部・教授 (教育社会学)
小池 澄夫 滋賀大学教育学部・教授 (哲学)
喜名 信之 滋賀大学教育学部・教授 (フランス教育史)
(研究成果の概要)
「たしなみ」ということばに厳密な意味で対応する西洋語をみつけることは困難である。Accomplishment, discretion, taste, estheticsなどが近接した意味をもつが、完全に対応するわけではない。また、「たしなみ」には身体性を伴う習慣(ハビトゥス)の形成という側面が含意されているが、この言葉の語法という点からみたとき、自己の身体を対象化し働きかけるという能動・受動関係だけではとらえられないという点でも西洋語に置き換えることが難しいからである。
日本においては、近世には武道や遊芸のたしなみという形で「稽古」されていたとされることが多い。武家においては、薙刀などの武術は蛮力をふるって敵を倒すためというよりも、自衛の道を覚えて胆力を練り、事に臨んで少しも動じない精神を修養するという意味合いが強かったようだが、町家では一般に遊芸ひととおりを稽古することをさすことが多かったようである。手習い、三味線、踊り、琴等は江戸の町娘の代表的な稽古事であり、それらを通して行儀作法や一般常識を学ぶと同時に、それ自体が女性同士の社交の場でもあった。
このような意味での遊芸の稽古を女性の「たしなみ」として習う習慣は、明治初期には知育中心の女学校教育のなかで否定されることもあったが、明治中後期以降は、高等女学校の拡大とともに新時代の女性の教養のなかにくみこまれ再編成されていった。茶道、華道、琴などは高等女学校の正規のカリキュラムのなかに入れられたり随意科目として設置される場合が多く、それはミッション系の女学校においても同様であった。一方、課外での稽古事の習慣もなくなったわけではなく、むしろ伝統的な茶道、華道、琴に加えて、ピアノやバイオリン、英語などにまで広げられて維持されていったことが、いくつかの女学校におけるアンケートなどの資料からもうかがうことができる。「稽古」ということばは、このような習い事に対してはもちろん、学校の授業や勉強についても使われており、女学校を中心とした女性の教養が、読書を中心とした個人主義的な教養に限定されず、身体作法や社交を含む広い概念であったと考えられるのである。
1910〜1920年代にかけては、女性の「たしなみ」についての著作や議論が教育雑誌や婦人雑誌の言説のなかに数多く出現するようになるが、そこでは女性の「たしなみ」あるいは教養は、人格や品性の修養、あるいは趣味、作法といったことばとともに使用されることが多い。立ち居振る舞いから衣服や化粧法など身体や外見の整え方から始まって、手紙の書き方や文学、音楽、美術などの趣味にまでわたるこれらの言説のなかでは、身体の抑制やつつましさといった徳だけではなく、それらが清潔や衛生といった科学的な知識と結び付けられる一方で、そうした実用知とは離れた「高尚な」趣味・教養を備えた社交的で品格ある新時代の女性像と結びつけて論じられている。このように、趣味と規範としての作法、社交が結びついた概念としての「たしなみ」は、個々の身体を軸としながらその延長としての外見、さらに家事や部屋の装飾などを含む「家庭」という空間へと拡大/収斂していくのである。家庭を居心地のよい空間にしていく「家庭の女王」たることがたしなみの目的になっていったのである。それは、中流家庭の子女の教育として、また中流家庭の婦人として、(遊芸の稽古に通っていたかつての)娘や(家内労働を手伝う)農村・地方の子女と差異化しつつ、一方では男子の教養概念からみれば浅くて広いジェンダー化された文化として二次的な位置におかれることになっていった。
19世紀フランスにおける社交の場としての舞踏会とダンス教育は、フランス中流・上流社会における社会関係と社会的位置の形成と確認の場として重要な位置を占めてきたが、それと比較すると、日本における女性の「たしなみ」は微妙な位置におかれたということになるのかもしれない。この点については、日本における女性を中心とした社交空間の実証的研究と照らし合わせながら、さらに比較研究をすすめていくつもりである。
現在、本研究は、平成17年度科学研究費補助金(「たしなみ」型教養の歴史社会学的研究)のなかで、継続してすすめているところである。
(敬称略)