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サントリー学芸賞

受賞のことば

芸術・文学2021年受賞

堀井 一摩(ほりい かずま)

『国民国家と不気味なもの ―― 日露戦後文学の〈うち〉なる他者像』

(新曜社)

1977年生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻博士課程修了。博士(学術)。
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻助教を経て、現在、津田塾大学、法政大学、埼玉県立大学、早稲田大学などで非常勤講師を務める。
著書 『世界文学としての〈震災後文学〉』(共著、明石書店)など。

『国民国家と不気味なもの ―― 日露戦後文学の〈うち〉なる他者像』

 私が本書の研究に着手した2010年代の初頭、日本社会はナショナリズムの緊張感で張り詰めていました。尖閣諸島問題で日中間の緊張が高まり、日本海を挟んで非難の応酬が繰り広げられていましたし、東日本大震災のショックによって、「絆」という言葉に象徴されるような家族愛・郷土愛・愛国心が再評価されるようになりました。さらに、サイバー空間に溢れていた排外主義がリアルな路上に侵出し、在日コリアンの生を文字通り脅かしていました。しかし、こうした問題に対して真っ先に警鐘を鳴らしてしかるべき国民国家論は、その定型的な語り口のためにアカデミズムで訴求力を失いつつありました。本書の構想は、そのような「愛国的な国民」になることをたえず求める同調圧力の居心地の悪さの只中で生まれました。政治学者でも社会学者でもない、文学研究者の端くれにいた私は、近代文学の中に現われていた「国民ならざるもの」の静かな抵抗を描き出したいと考えるようになったのです。
 国民とはこうあるべきだと語る教条的な言説とつき合わせながら、明治・大正時代の文学作品を読んでいくと、人が国民となるためにいかに多くの要素を切り捨てなければならなかったかに改めて気づかされました。近代文学に描かれた「不気味な国民」とは、個人が国民に変身する過程でふるいにかけられ、こぼれ落ちていった要素が集積して、ひとつの形を取ったものだと言えるでしょう。それは、本書で取り上げたように、「生産性」のない身体であったり、戦死への恐怖であったりと、多様な形態を取って現われます。
 こうした不気味なものたちは、規範的な国民像とは異なるがゆえに、なじみのないもののように見えます。不気味なものに直面すると、私たちは不安や恐怖を感じてたじろいだり、ときには排斥しようとしたりするかもしれません。しかし、不気味なものは国民の失われた可能性を指し示すものでもあるのです。近代日本を生きた人々のありえたかもしれない姿、しかし、そうであることを許されなかった姿を。文学空間は、国民国家の中で抑圧された不気味なものたちがかろうじてその姿を垣間見せる場であり、私たちは文学テクストを読むことを通して、ありえたかもしれない自己の姿に出会えるかもしれません。
 このたびは栄誉ある賞をいただき、感激に堪えません。関係者の方々に深くお礼を申し上げます。この受賞をきっかけに、一人でも多くの読者が本書で取り上げた作品を手にとって、別様でありえたかもしれない自己に出会っていただきたいと切に願っています。

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