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サントリー学芸賞

受賞のことば

思想・歴史2019年受賞

板東 洋介(ばんどう ようすけ)

『徂徠学派から国学へ―表現する人間』

(ぺりかん社)

1984年生まれ。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得満期退学(倫理学)。博士(文学)。
日本学術振興会特別研究員(PD)、東京大学大学院人文社会系研究科研究員などを経て、現在、皇學館大学文学部神道学科准教授。
論文 「荻生徂徠と芸道思想」(『思想』No.1112所収、2016年)など

『徂徠学派から国学へ―表現する人間』

 この本の大半は、一人の学生の病床の傍らで書かれた。彼は私の指導学生のうちで最も優秀な一人であった(こんな風にすべてを過去形で記さねばならないのは、私の深い悲しみである)。彼は勤務校の学生の常として神職を志望していたが、なにより雅楽にいれこんで、暇さえあれば龍笛の稽古をしていた。また一人で静かに笛を吹き澄ますのも好きだった。二見の浜や五十鈴川、旧い参宮街道の街の辻々、眠るように青い志摩の山ひだ、そうした伊勢の名所のくまぐまに、ひとたびこの若い伶人の笛の音は響き徹ったのである。平生の彼はあまりに快活で生気に満ち満ちていたから、彼が病に倒れた時にはじめて私は 「斯の人にして斯の疾(やまい)有ること」という孔子の歎きの深さを知った。この「雅楽馬鹿」のベッドの手すりに、日本中の名だたる神社から同級生たちがもちよった色とりどりの平癒祈願のお守りにまじって、愛用の龍笛が大切に袱紗にくるまれて結び付けられていたのを思い出すと、私は今でも平静ではいられない
 彼が亨けた生の時間は今の私の半分ほどでしかなかったが、彼は私などより人生についてずっと多くを知っていたような気がするし、その生きざまは私の深いところにいつも燠火のようにくすぶっている。本書のうちにややもすればアカデミズムの節度を越えて激したところがあるとすれば、この本が生まれる現場に存した一種異様な感慨によるものとして、ご寛恕を乞いたく思う。
 そして彼のことはこの本が偶々(たまたま)際会した外的な事情というだけでなく、その内容にも分ちがたく食い入っている。雅楽のような伝統芸能、あるいは工芸、武道など、なにか一つの特殊な道に賭けて見事に突っ切れた生。なにもそれが日本特有のものだと断言できるほどに私の勉強は進んでいないし、実際にそうではないだろう。しかしながら、仏教の理論的な影響力が後退し、代わって台頭した朱子学の理の体系に対しても経験的な学知の集積に伴って次第に疑問符が付されゆき、世界を演繹的に説明しつくす「理論」のエアポケットにあった18世紀の日本で、新進の古典学者たちによって、「理論」への断念と引き換えに、そうした個々の道の奥行きと深みとが丹念に辿られ、またそのような道々を歩みゆく質朴な人生の意義が探られたことは、思想史の上の事実である。本書はありていにいえば、荻生徂徠と賀茂真淵という、それぞれにどこか職人気質な18世紀日本の二人の大思想家のテクストに即した、職人気質の研究である
 この反時代的、というよりはむしろただただへそ曲がりな本を本当に喜んでくださるのは徂徠先生と県居大人のお二人、それに幽世の彼だけだろうと思っていた。それがこのような栄えある賞をいただくにおよんで、今はただ負ってしまった責任の重さにうちひしがれている。喜びはたぶん、あのときの悲しみと同じように、ずっと遅れてやってくるのだろう。

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