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サントリー学芸賞

受賞のことば

社会・風俗2019年受賞

藤原 辰史(ふじはら たつし)

『分解の哲学―腐敗と発酵をめぐる思考』

(青土社)

1976年生まれ。
京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程地域環境学専攻中退。博士(人間・環境学)
東京大学大学院農学生命科学研究科講師などを経て、現在、京都大学人文科学研究所准教授。
著書 『給食の歴史』(岩波書店)、『トラクターの世界史』(中央公論新社)、『[決定版]ナチスのキッチン』(共和国)など

『分解の哲学―腐敗と発酵をめぐる思考』

 いまの日本社会は、他人の目をうかがってタブーに触れず、臭いものに蓋をするという「さわらぬ神にたたりなし」という雰囲気がますます強くなっているように思える。『分解の哲学』と題された本書は学術の世界にも及んできているそんな雰囲気への異議申し立てでもある。死骸を食べつくす生きものたち、社会の庇護から追い出された少年少女、車やバイクを勝手に修理するナポリ人、紙や鉄やガラスの屑を拾って暮らす人びと、残飯を食べる人びと、ファーブルを虜にした糞虫、牛馬の死体の処理者、土壌中の生きものたち。本書の主人公たちはみな、できるだけ考えないで暮らしていたい、と思われがちな、いわば「さわらぬ神」であった。
 にもかかわらず、この領域のものたち、つまり分解の担い手がこの世界から消えてしまえば、私たちの生は一日たりとも続かない。地球がゴミに埋もれて人類が滅びないのは、数え切れないほどの分解者たちの自分勝手ともいうべきはたらきのおかげにほかならない。これらの「さわらぬ神」こそが、地球上のどんな権力者や富裕な者たちよりも私たちの存廃を左右する事実を前に、私は執筆中、足がガタガタ震えるような感覚にたびたび襲われた。ずっと上から目線で眺められてきた分解者は、私のコンピューターを乗っ取り、叛逆を開始しようとしているのではないだろうか。ちょうど、人間に叛逆を開始したチャペックの奴隷ロボットや山椒魚たちのように。そんな思いにとらわれた。
 ならば叛逆の側に立って世界を眺め直してみたい。そんな欲望に従い、歴史学の柵を時折はずしながら、本当に自分が書きたくてたまらないことだけを書いた自分勝手な本であるので、長い歴史を持つサントリー学芸賞受賞の報を受けたときは驚いた。選考委員各位と財団の方々に「ひるんではなりません」と背中を押していただいた事実を、感謝の念とともに受け止めたい。
 もちろん、喜んでばかりもいられない。なぜなら、タブーと思われていることから目をそらさず、蓋をされ続けてきた事実、世界で力を持つ人たちにとって不都合な現象についての研究をさらに深めることを、そして、ミミズや、土壌微生物や、バタヤたちの傍らでものを考え続けることを、本書の出版と今回の受賞が私に命じているように思えるからである。それには相当の覚悟と精神力が必要なことであり、気の弱い私はすでにその事実から逃げたくなっているのだが、もはやそれが許されることはないだろう。いまはただその状況に置かれた意味を、静かに考えたい。

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