受賞のことば
思想・歴史2018年受賞
『イエズス会士と普遍の帝国―在華宣教師による文明の翻訳』
(名古屋大学出版会)
1979年生まれ。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了(アジア文化研究専攻)。博士(文学)。
東京大学東洋文化研究所特任助教などを経て、現在、日本学術振興会特別研究員。
論文:「『中国古代についてのエセー』(一七七六)読解――第一部を中心に」(『東洋史研究』第77巻第1号所収)など
かれこれ13年前になりますが、私は図書館でたまたまアミオという人物に出会ってから今日まで、この歴史上とくに有名とはいえない人の書いたものを読み続けてきました。アミオは18世紀フランス出身のカトリック宣教師で、40年以上にわたって清に滞在し、中国の古今の文明をめぐる報告をヨーロッパヘ送り続けました。自分で研究対象に選んだので文句を言ってはいけないのですが、アミオの報告というのは現代それを読まされる身としてはなかなか厄介な代物です。なぜならアミオの報告は、彼より前の西欧人がやってきたように旅行記や観察記録として書かれるのとは異なり、もっばら中国文献の「翻訳」の形で残されているので、表面的にはアミオ自身の作為はことさらに表出していないように見えるのですが、読み進んでいくと思わぬところで彼の意志および彼を取り巻いていた時代の刻印が現れ、油断できないからです。しかもアミオ自身はことあるごとに自分が真正な文献に依拠し、それらを忠実に翻訳しているのだと主張するので余計にややこしいことになります。
このような原典と翻訳者の人格とのあいだで往復を繰り返すような翻訳のあり方は、同じ頃西欧で作られていた楽曲の演奏におけるリアリゼーション(realization)やアーティキュレーション(articulation)の感覚に近いかもしれません。ご存知の方も多いでしょうがバロック音楽は即興性が高く、譜面はしばしば楽曲の骨組みに過ぎないので、演奏する人がその時その場で音を無数の可能性がある中から実現し、音の連なりを分節化して物語を与えなくてはなりません。大げさにいえば楽曲は演奏者の創造性を動かし、現在に接続することによってはじめて完成するのです。アミオ自身チェンバロやフラウト・トラヴェルソを嗜んだことが関係しているかは分かりませんが、彼の行った翻訳もまた単に過去の静止した原典をなぞるという類のものではなく、彼自身の生きた場所と時間における実現であり、そのなかで練り上げられたのが普遍の帝国としての中国だったといえます。そしてこのようにアミオを強く動かしたのは、上古から続く中国の「文」の伝統および同じ時代を生きる清の人々との交際でした。アミオによる翻訳は原典に対する逐語的な正しさというよりも、人がいかに過去や他者から創造性を受け取るかという点で多くのことを教えてくれるように思います。
今後もアミオたちの残したものを通して、翻訳の現場にできる限り接近していきたいと思います。この度は本当にありがとうございました。