受賞のことば
政治・経済2018年受賞
『パチンコ産業史―周縁経済から巨大市場へ』
(名古屋大学出版会)
1971年生まれ。
東京大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済史専攻)。博士(経済学)。
首都大学東京都市教養学部経済学系研究員、東京大学大学院経済学研究科特任准教授などを経て、現在、北海道大学大学院経済学研究院准教授。
著書:『「在日企業」の産業経済史』(名古屋大学出版会)、『企業家学のすすめ』(共著、有斐閣)など
繁華街、駅周辺など、仕事や生活の空間に違和感なく存在するパチンコホールは、パチンコが間違いなく社会を構成する一要素であることを示しています。にもかかわらず、日本社会に特徴的なパチンコがどのようにして人々の身近なところに組み込まれるようになったのかについて、丁寧な歴史的説明が与えられてはきませんでした。偏った先入観がいつの間にかすべてを説明するようになっていました。拙著は、一方では正面切った観察が困難とされ、他方では独り歩きするイメージに覆い隠されてきたパチンコ産業の実態に対し、史料の力を借りて歴史的根拠を与えようとしたものです。とはいうものの、社会の陰の部分に光を与えたいという明確な問題意識が最初からあったわけではなく、この研究は、その今日的意義なども明快ではない、砂漠を彷徨うような不安に満ちた長い道のりでした。
博士論文の在日韓国・朝鮮人企業の歴史研究が、パチンコ調査のきっかけとなりました。この研究はのちに『「在日企業」の産業経済史』として出版されましたが、在日韓国・朝鮮人にとって重要な事業となったものの一つが、パチンコ産業でした。その発展史に「在日企業」を位置付けることにより特徴を析出する、というアプローチをとりましたが、参照できる歴史研究が見つかりませんでした。パチンコ産業の分析に取り組んだものの、すぐ挫折しました。集められた細かい事実だけでは、立ちはだかる既存のイメージの壁を打ち破れそうにありませんでした。
自動車など日本経済の競争力を代表し、あって当然とされる産業に対して、パチンコは、存在自体自明ではありません。日本人がパチンコを好む理由など需要側の選好に注目するだけでは、一時的ブームに終わるかもしれない危険性をパチンコが何故回避できたかという点が見落とされてしまいます。飽きさせない機械の開発、消費を喚起するサービス提供という持続性のある仕組みに注目する必要がありました。存続が自明でないからこそ持てた維持を可能にする基盤への関心は、他産業でも論じられる必要があるかもしれない、市場や規制に関する論点を導き出してくれました。
研究を諦めなかったのは、調査協力者はじめ、指導教官や編集者など、多くの方々の力があってのことです。もう一つ私を後押ししたものがあります。雑誌『人生手帖』は1950年代にパチンコホールで働くことで劣等感に苦しむ女性たちの姿を伝えています。この業界の人々の必死に生きる姿勢を素直に受け止める目線が私たちにあるとしたら、という願いが研究を形作ったのかもしれません。
タコツボに閉じこもった研究だと悩み、難しいテーマだから投げ出したいという誘惑に駆られたこともあります。栄誉ある賞をいただいたことは、ツボからでてみてもという勇気となりました。方向性が定まっておらず不安を抱えながらですが、新たな挑戦に踏み出してみたいと思います。