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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学2024年受賞

呉 孟晋(くれ もとゆき)

『移ろう前衛—中国から台湾への絵画のモダニズムと日本』

(中央公論美術出版)

1976年生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。
京都国立博物館学芸部美術室研究員、同調査・国際連携室長などを経て、現在、京都大学人文科学研究所准教授。
著書 『中国近代絵画1 斉白石』(共編著、中央公論美術出版)など。

『移ろう前衛—中国から台湾への絵画のモダニズムと日本』

 昭和初期に中国から日本に留学していた画学生たちは、日本でなにを学び、なにを本国に持ち帰ったのだろうか。ヨーロッパ絵画の革新に刺激された日本の画家たちによる「前衛」に触れた彼らは、それをどのように受け止めたのか。この本は、日本を経由した「絵画のモダニズム」が中国や台湾でどのように展開したのか――あるいはしなかったのか――を、現存する作品が極めて少ない中で、日本語と中国語の文献を渉猟して複数の角度から明らかにした画期的な力作である。
 モダニズムの越境性はかねてより議論されており、「複数のモダニズム」という考えも定着してきた。本書ではそれを敢えて「移ろう前衛」と表現した点が面白い。そもそも理論としてのモダニズム絵画は、視覚の普遍的価値を追求するもので、所在なく「移ろう」ことをよしとしない。これに対し、実践としてのモダニズム絵画は決して直線的に展開せず、常に現実との交渉や妥協を経て生み出された。モダニズム絵画の最前線である西欧でもそうなのだから、その概念が移植された日本や、「日本的前衛」が導入された中国や台湾においては言うまでもない。「前衛」はその時の社会や政治の状況によって「移ろう」ことを余儀なくされるものだった。
 三部構成で14章と4つの付論からなる本書もまた、直線的には進まない。中国人留学生の足跡に加え、中国の主要都市における近代美術の胎動や、画家たちによる出版物や展覧会、さらには論争など、章ごとにめまぐるしく主題が変わる。その中でも、広東生まれの李仲生は「移ろう前衛」の具体例として非常に興味深い。彼は戦前の東京でシュルレアリスム絵画を発表し、国共内戦時に移り住んだ台北では抽象画を描きつつ、評論家・教育者としてモダニズムを唱道する。だが国民党政権下では「前衛」への風当たりが強く、彼は田舎で長年隠棲した後、晩年に「モダニズム絵画の先駆者」として台湾の中央画壇へと復帰するのだ。一冊の書物としては、李を中心に据えた作家論の方が、読ませるものになったかもしれない。
 だが本書が、その冷静な語り口とは対照的に、ある種の迫力を持って突きつけてくるのは、この主題は単純な作家論や通史にまとめられるようなものではないという事実である。その難しさは、台北に的を絞った第三部からもよく分かる。そこでは、本省人と外省人の対立や駆け引きを経て戦後台湾の画壇が成立し、民主化の動きとともに「前衛」が半ば強引に「コンテンポラリー・アート」へと衣替えしていった様相が明らかにされる。摩擦に満ちた中国と台湾における「前衛」の歩みは、多岐にわたるトピックを断片的に扱うことから出発せざるを得ない。「移ろう前衛」は「儚い前衛」でもあったのだ。そのこと自体の歴史性を描き出した点に本書の白眉があるといえる。
 翻って本書は、「日本近代美術」や「戦後日本美術」について考える際にも重要な示唆に富む。近年この分野の研究が盛んだが、複数の言語による調査の難しさもあってか、東アジア全体を俯瞰して見るような研究は極めて少ない。そもそも「戦後日本美術」をカテゴリー化できるのも、敗戦後の日本がアメリカの傘下に入り、「戦前」からのモダニズムの流れをなんとか「戦後」に接続することができたからである。多くのアジア諸国においては、第二次世界大戦の終結は新たな戦争の始まりでしかなかったことを考えると、本書は結果的に「戦後日本美術」の成立条件をも浮き彫りにする名著となっている。

池上 裕子(大阪大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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