選評
芸術・文学2024年受賞
『日本の小説の翻訳にまつわる特異な問題—文化の架橋者たちがみた「あいだ」』
(中央公論新社)
1987年生まれ。
総合研究大学院大学文化科学研究科博士後期課程修了。博士(学術)。
東京大学東アジア藝文書院特任研究員などを経て、現在、国際日本文化研究センター准教授/総合研究大学院大学准教授(併任)。
論文 「マンガ翻訳の海賊たち」(『海賊史観からみた世界史の再構築』、思文閣出版)
米英における日本文化の受容は、国によって環境が異なり、時代ごとにさまざまな変化を見いだすことができる。日本文学の英訳というエリアにしぼって見ると、イギリスが19世紀末から戦間期に先鞭をつけた。アーサー・ウェーリーが『日本の詩歌』(1919年)と『能楽』(1921年)に続き、『ザ・テール・オブ・ゲンジ』(『源氏物語』)6冊の完訳を1919年から1933年にかけてロンドンで刊行したことが土台となり、ジャパノロジストの若い世代が次々と育ちはじめた。近年指摘されるように、担い手はウェーリーも代表するようにオックスブリッジ(=オックスフォード大学とケンブリッジ大学)出身者で、戦火に倦み当時の英国社会に対し一種の疎外感を抱く文化的エリートたちが多かった(John Walter de Gruchy, Orienting Arthur Waley: Japonism, Orientalism, and the Creation of Japanese Literature in English)。
本書は、第二次大戦後GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)に勤務するかたわら同時代の日本文学に触れ、後に日本文学英訳出版の屋台骨を作った人々と、彼ら(ほとんどすべてが男性)を支える出版機構、さらにその成果として1950年代半ばから70年代にかけてアメリカおよびイギリスで刊行された数多くの英訳日本文学の選定から校閲まで含めた編集過程と同時代の評価を実証しようとする力作である。これらのことを著者が論じるのに用いる当時の新聞雑誌記事や単行本に加え、出版業界のいわばバックヤードで制作された膨大な量の契約書や報告書類、作者と翻訳者、翻訳者と編集者、そして編集者と社内マーケティング部門との間に交わされた書簡などの一次文献が余すところなく駆使されている。なかでも、1950年代後半にニューヨーク市に本社を置く出版社クノップフ社が牽引した日本文学翻訳プログラムの詳細を語る史料群の精査に基づく新知見が夜空の星のごとく散りばめられている。
当時クノップフ社の編集者で日本文学の英訳プログラムを一手に引き受け強力に進めていったハロルド・シュトラウス氏はじめ同社の出版現場で働いた人々の記録は、テキサス大学オースティン校のハリー・ランソム・センターに保管されている。著者がその宝庫へ足を運び調査を行なうなかで、戦後英訳された日本文学の姿を初めて立体として見いだし、その生成の流れを谷崎潤一郎『蓼喰う虫』『細雪』、川端康成『千羽鶴』『名人』、三島由紀夫『金閣寺』など商業的にも成功し戦後海外における日本文化のイメージを一変させた作品に即して俯瞰している。
編集者を中心に組まれたとする二十数名のクノップフ社員の動線を活写する一方、翻訳の立役者であったエドワード・G・サイデンステッカー氏の日記など個人の未紹介証言を有効に織り込むことによって、「アッパー・ミドル・ハイブラウ(=中流教養人)」という当時想定された読者層の嗜好と属性について明らかにしていることも、広い意味では読書論や書籍文化論などへの波及を期待させる。日本という視座を離れ、「翻訳」が担う役割を政治や社会動向から根本的に検証し直す一助になることを確信した。
ロバート キャンベル(早稲田大学特命教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)