選評
政治・経済2024年受賞
『三井大坂両替店(みついおおさかりょうがえだな)—銀行業の先駆け、その技術と挑戦』
(中央公論新社)
1987年生まれ。
関西学院大学大学院文学研究科博士課程後期課程文化歴史学専攻日本史学領域単位取得退学。博士(歴史学)。
大阪市史料調査会調査員、公益財団法人三井文庫研究員などを経て、現在、法政大学経済学部准教授。
著書 『近世畿内の豪農経営と藩政』(塙書房)など。
本書は、我々の江戸時代のイメージを大きく変える書になるだろう。1691年(元禄4年)に三井高利が開設した三井大坂両替店に、本書は焦点を当てている。今に残る三井家記録文書などを丹念に読み解き、江戸時代の銀行業の実態を解明している。本書は、江戸時代の金融システムにおける新事実を明らかにした点で、経済現象を分析した優れた書として、政治・経済部門のサントリー学芸賞を授与するにふさわしい。それだけにとどまらないところが、本書の魅力の1つでもある。
三井大坂両替店が最初に手掛けたのは、江戸幕府に委託された送金業務だった。当時の経済の中心は大坂で、幕府のある江戸との間で、貨幣運搬のリスクを回避する必要があった。そこで、為替手形を使って、貨幣を運ばずに貨幣を運んだも同然の状態を実現することに成功した。今日の為替取引に通じるシステムは、人類史上、13世紀の北イタリアにもあって、江戸時代の日本が起源ではないが、その時代に為替取引が発展する様を本書は描いている。
江戸時代の為替取引については、経済史研究における蓄積がある。本書の新規性は、三井大坂両替店が送金業務を端緒に今日の銀行業に通じるビジネスモデルを確立した過程を、新たな視点で明らかにした点である。特に、三井が採用した信用調査の技術に注目したことによって、本書の読者をより一層惹き付ける。
今でも、お金を借りたり、クレジットカードを使ったりする際に、信用調査はある。ただ、現代では年収を客観的に証明することは、税務書類などで容易にできるが、江戸時代にそんな仕組みはない。また、担保が必要な場合に、担保価値を客観的に測ることは、今日では容易でも、江戸時代には簡単にはいかない。
そんな時代に、三井大坂両替店が編み出したのは、担保価値を測る手法と借入を申し込む客の素行調査である。担保となる土地や家屋を、立地や人流などを地道に調べて独自に価値を算出した。また、当人の人格の良し悪しを評判などから判断して、融資の可否を決める資料とした。それらが、文書の中に残っており、本書の中でも披露されている。
特に、人格や家族関係に関する記述は、金融の話にとどまらず、当時の法制の拘束力、社会風俗や文化、人々の倫理観をも描写しており、読み応えがある。これが、前掲した本書の魅力の1つといえる。
本書によると、三井家に融資を申し込んだ住友家は、当時骨肉の相続争いをしており、火災で焼けた屋敷の再建もままならない状態であることや、当事者が隠居し家督を幼い子に譲るが、その隠居理由が不品行だったことが信用調査に記されていた。今や三井住友フィナンシャルグループとなった両家だが、当時の三井家は、それを踏まえて住友家とは契約を避けるという判断をしたという。
江戸時代の人々は、誠実でモラルが高いというイメージがある。しかし、本書で取り上げられた信用調査を読むと、不誠実な人はままいて、だからこそ信用調査が必要だったことが浮かび上がる。見事な分析であり、その含意は金融史の域を超えている。
萬代悠氏は、本書の前に『近世畿内の豪農経営と藩政』(塙書房)も執筆しており、同時代の農業、金融業とその幅を広げ、経済史の解明に大きく貢献している。この探究力が生かされた続編の刊行が待ち望まれる。
土居 丈朗(慶應義塾大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)