選評
政治・経済2024年受賞
『ジェンダー格差—実証経済学は何を語るか』
(中央公論新社)
1975年生まれ。
ワシントン大学経済学部博士課程修了、Ph.D.(経済学)。
Population Council(ニューヨーク)客員研究員などを経て、現在、日本貿易振興機構アジア経済研究所開発研究センター主任研究員。
著書 『コロナ禍の途上国と世界の変容』(共著、日経BP/日本経済新聞出版)
「世界経済フォーラム」が発表している「ジェンダー・ギャップ指数」の2023年の指数では、日本は調査対象国146カ国のうち125位で、G7でも東アジア太平洋諸国19カ国の中でもいずれも最下位である。日本のジェンダー格差が大きい理由は、政治と経済の分野で極端に指数が低くなっていることにある。人口減少で労働力不足が深刻化し、女性の社会での活躍が今後の経済成長に必須になっている日本で、ジェンダー格差は早急に解消されなければならない。また、経済成長のためだけでなく、人権の観点からも当然進めるべきものだ。
ジェンダー格差の解消にはどのような政策が効果的だろうか。ジェンダー差別を禁止する法律を作ればジェンダー格差を解消することができるのだろうか。一見ジェンダー格差を解消するように見える政策が、逆に格差を拡大してしまうことはないだろうか。効果的な政策を行うためには、ジェンダー格差の原因を明らかにすることが重要である。近年の経済学では、格差の原因や政策効果の因果関係を明らかにする研究が世界中で行われている。
本書は、ジェンダー格差の経済学について、著者自身の貢献も含めて非常にわかりやすく包括的に紹介した書物である。この分野は、2023年のノーベル経済学賞を受賞したクラウディア・ゴールディン教授の研究で一般にも注目を浴びた。本書もゴールディン教授による経済発展と女性の労働参加の関係の説明から始まる。そして、女性の労働参加による家庭内の交渉力の強化、男女の性比が与える影響、男女平等意識と歴史、ステレオタイプとクォータ制の議論、社会規範の影響、結婚出産、育児休業制度、心理学的影響など、ジェンダー格差を議論する際に必要な経済学の考え方とエビデンスについて幅広く網羅している。
著者の専門は開発経済学であるが、途上国の事例だけでなく、先進国や日本における制度とその影響に関する実証研究を丁寧に紹介している。著者が開発経済学の専門であることは、ジェンダー格差の書物を書くうえでメリットになっている。途上国の研究をよく知っていることで、極端な格差が存在している国、もともと同じ文化圏だったのに植民地支配によって偶然異なる制度下に分かれた国などの特徴を駆使して因果関係を明らかにした研究を幅広く知っているのである。ジェンダー格差を歴史的・地理的に幅広い視点で見ることができるので、さまざまな思い込みから逃れて客観的な分析が可能になっている。
意外な事実も因果関係の分析で明らかになる。女性の賃金上昇は家庭内暴力を減らすことも増やすこともあり、それは離婚のしやすさに依存する。育児休業取得者のテニュア審査期間延長という研究者のための制度が、男女格差を拡大した。女性研究者が休業中は育児に集中したのに対し、男性研究者は研究を続けたからだ。ジェンダー格差を解消するには、性別役割分担に関するステレオタイプや社会規範を改善することが重要だ。
ジェンダー格差に直面してきた著者が、その解消のための熱い思いを背景に、冷静で客観的なエビデンスを示すことで、本書の説得力を高めている。「冷静な頭脳と温かい心」で書かれた本である。
大竹 文雄(大阪大学特任教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)