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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史2023年受賞

新城 道彦(しんじょう みちひこ)

『朝鮮半島の歴史―政争と外患の六百年』

(新潮社)

1978年生まれ。
九州大学大学院比較社会文化学府国際社会文化専攻博士後期課程単位取得満期退学。博士(比較社会文化)。
新潟大学大学院現代社会文化研究科助教などを経て、現在、フェリス女学院大学国際交流学部教授。
著書 『朝鮮王公族』(中央公論新社)など。

『朝鮮半島の歴史―政争と外患の六百年』

 地味な書名である。何の変哲もない。
 名は体を表す。内容もズバリ掛け値なしの「政争と外患の六百年」にわたる「朝鮮半島の歴史」、まさかカン違いして手に取る読者もいるまい。
 「~~の歴史」といえば、どこでも、いくつでもありそうな本のタイトル、あえて地味だといったゆえんである。しかし地味は、必ずしも凡百を意味しない。
 なかんづく「朝鮮半島の歴史」は然り。その「六百年」を描き切った日本語の通史は、思想プロパーを除けば、短く数えても四半世紀、存在しなかった。地味ながら貴重である。
 朝鮮戦争の休戦から70周年。その間、半島の南北に別々の国家が分立しつづけた。史上「分断」は「異例」ながら「独立」も「異例」。「異例」も重なれば二重否定になるのであろうか。70年を経て、法的には戦時であっても、もはや「異例」ではなく常態といってよい。休戦協定締結日の7月27日、南北は各々の記念行事でも対極的な姿態を示した。
 最も近い隣国のそうしたありようは、いったい何に由来するのか。われわれ日本人は、そこに至った事情をどこまで知っているだろうか。
 知らないとすれば、知るすべがなかったからである。無味乾燥な教科書以外、普通に広く読める「朝鮮半島の歴史」・通史は久しく出なかった。既存のそれは、もはや古びてしまって、また偏りもまぬかれない。
 そもそも南北それぞれ「独立」国家となる前、半島はまるごと日本の植民地だった。さらにその前は、王朝国家であると同時に、中華王朝の属国であったから、どの立場で歴史をみるかで、バイアスは避けられない。
 多かれ少なかれ、そうした視座・偏向のままに史実を位置づけてきた。通史であれ研究であれ、「朝鮮半島の歴史」が日本に乏しい理由の一半は、そこに存する。かけ離れた各々をムリにつなげても、一貫するはずはない。忌避して当然ではあった。
  そこで「六百年」の「朝鮮半島の歴史」を跡づけるには、数ある視座から超然とした俯瞰と根強い偏向に対峙する乾いた論述とが、同時に求められる。現行の関係学界でそれをかなえるのは、かなり難しい。
 そこに挑んだのが、本書である。からみあう「政争と外患」のプロセスをわかりやすく説くだけでも、秀逸といってよい。しかもその構図が、王朝時代には朝廷の党争、20世紀前半には「独立」の運動、後半には南北の「分断」に展開現象した史的メカニズムを展望せしめる。
 また近代日朝関係史を専門とする著者は、資料を縦横に駆使しながら、あえて得意な題材に深入りしない。「併合」「日帝」ばかりに耳目を奪われがちな読者に、冷徹な視座を提供するねらいだろう。装いに応じて、中身も浮華を廃し地味に徹したのは、意識的な抑制にちがいない。いよいよ非凡である。
 もちろん著者も漏らしたように「「あれがない、これがない」的な批判を受ける」のは、通史の宿命。その尻馬に乗るなら、「政争と外患」・政治外交のみならず、思想文化・社会経済にもしかるべき目配りがなくては、なお通史というに足らない。
 欠如の事情は察しつつ、ことさら蛇足の望蜀を記した。これを機に、「朝鮮半島の歴史」を掛け値なしの全体史として描く達成を著者に期待したいからである。

岡本 隆司(京都府立大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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