選評
思想・歴史2022年受賞
『人権と国家—理念の力と国際政治の現実』
(岩波書店)
1971年生まれ。
スタンフォード大学大学院博士課程修了。博士(社会学)。
ミシガン大学社会学部教授などを経て、現在、スタンフォード大学社会学部教授。同大学アジア太平洋研究センタージャパンプログラム所長、同大学人権・国際正義センター所長などを務める。
著書 Rights Make Might:Global Human Rights and Minority Social Movements in Japan(オックスフォード大学出版局)など。
人権とは長らく、国際政治学の学問の世界では周辺的に位置づけられることが少なくなかった。いわゆる現実主義の国際政治理論の伝統においては、巨大な軍事力を有する大国のパワーや、それを単位とした勢力均衡によって国家と国家の関係を論じることが主であった。
スタンフォード大学で現在、政治社会学を教える筒井清輝氏による本書は、そのような現状に巨大な一石を投じ、「人権力」の効用を説く。「人権力」を適切に行使すること、すなわち、「意見を支配する力」(E.H.カー)を活用することによって、日本を含めた各国は国際情勢の中で自らの好ましいかたちで国際秩序を形づくることができるのだ。「この『人権力』とも呼べる能力は、民主主義勢力と権威主義勢力がぶつかり合う現在の国際情勢の中で、ますます重要になってくる」という。それは単なる、理想主義の追求というような次元に収まるものではない。
著者は本書の前半において、普遍的人権が人類の歴史の中でどのように表出し、どのように国際社会で大きな位置を占めるようになったのかを概観する。本書の魅力は、冷戦後の国際政治の中で人権の規範と実践が翻弄されてきた現実を曇りのない目で直視して、その限界と可能性の鬩(せめぎ)合いを、緊張感をもって描写していることである。それを読むことで読者は、冷戦後の国際政治がいかに国際人権の問題と密接に結びついているかを認識するであろう。その上で、「実効性を肯定的に見るにしろ、否定的に見るにしろ、国際人権の現実的な理解をベースに、過剰な期待も悲観もすることなく、人権機構の影響力を向上する地道な努力が引き続き求められる」という。これは、戦争と平和を論じた、国際政治学者の高坂正堯の、『国際政治』の著書の中の、次の有名な締めくくりの言葉を想起させる。すなわち、「われわれは懐疑的にならざるをえないが、絶望してはならない。それは医師と外交官と、そして人間のつとめなのである」。
第4章の「国際人権と日本の歩み」において描かれる、国際社会の中での日本の人権外交の軌跡についての記述は、本書の中でもとりわけ高い価値を持つ。すなわち、日本の人権外交の特色が、「対話と協力を主眼とする独自の関与」であると論じ、「欧米の民主主義諸国とは一線を画す外交姿勢であった」と位置づける。だが、そのようななかでも、暗い影が忍び寄っている。それはポピュリズムとシニシズムである。この二つは、平和への脅威となると同時に、国際人権の発展にとっての脅威にもなる。単なる国際人権の発展の歴史を概観するのみならず、これからの国際社会の行方、そしてあるべき日本外交の姿を考える上でも、必読の一冊といえる。幅広い教養と、鋭敏な国際政治を洞察する力を有する著者の、今後の旺盛な研究と論壇での活躍を期待したい。
細谷 雄一(慶應義塾大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)