選評
社会・風俗2022年受賞
『柔術狂時代—20世紀初頭アメリカにおける柔術ブームとその周辺』
(朝日新聞出版)
1979年生まれ。
立命館大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。博士(社会学)。
現在、仙台大学体育学部准教授。
著書 Challenging Olympic Narratives(共編著、Ergon Verlag)など。
今の柔道は、国際的な競技のひとつになっている。明治前半期に講道館ではじまったそれとは、形をかえてきた。選手を体重別にわける。故意に寝技へもちこむことをいましめ、スタンディングの構えを重視する。たとえば、そういった変形を、柔道は世界へひろがっていく過程でこうむった。
柔道より古い形をとどめる柔術にも、国際化の波はおよんでいる。レスリングをはじめとする海外の格闘技とまじりあい、様がわりをとげてきた。
そうした変容を、最初に大きくうながしたのは、20世紀初頭のアメリカである。この本は彼地(かのち)で、当時おこった事態を、細大もらさずしらべあげている。アメリカで作動したグローバル化の内実を、えがききろうとした読み物である。
1904年にはじまった日露戦争では、多くのアメリカ人がロシアの勝利を予想した。しかし、その翌年には日本が勝ちをおさめている。そのミラクルが、日本の武術を神秘的にかがやかせた。柔術、つづいて柔道への興味がアメリカで高まったのは、そのせいである。新渡戸稲造の『武士道』があびた脚光も、この潮流とともにある。
新しく台頭した柔術は、レスラーやボクサーの敵愾心をかきたてた。渡米した日本の柔術家は、彼らとの対戦を余儀なくされている。いわゆる異種格闘技戦が、彼地(かのち)ではもよおされた。柔術や柔道のハイブリッド化は、そこから始動する。レスリングなどの良いところを、とりいれようとする気運が高まった。
それだけではない。この時期には、自らの身体をかがやかせようとする文化が、欧米でおこっている。いわゆるボディコンシャスの源流は、このころまでさかのぼれる。東洋のヨガなどには、強い興味がいだかれた。柔術には、そちらの方面からも期待がよせられている。エレガントな身体をもとめる女性には、ぜひ柔術を、というように。
こうした情勢下に、現地ではさまざまな思惑がうごめきだす。ブームでひと山あてようとするような人びとも、あらわれた。今ふりかえればフェイクとしか言いようのない情報も、とびかうようになる。
この本は、そういううさんくさい動きにも、光をあてている。と言うか、その匂いたつようなさわぎのなかに、柔術や柔道を位置づけた。グローバル化の端緒が、混沌の坩堝とともにあったことを、うかびあがらせている。運動競技の歴史が書かれた本である。体育史の一冊だと思う。しかし、評者はそこに風俗史のおもしろさも、あじわった。
あつめられたデータの数々にも、感心する。よくもこれだけの、とりわけ図像資料を渉猟しきったものだなと、脱帽した。また、その掲載をうけいれた出版社の度量も、多としたい。
日本文化のグローバルな展開は、今後も人文社会諸学の課題となりつづけるだろう。これは、そうしたテーマへいどむ人たちにとって、導びきの糸となりうる書物である。
井上 章一(国際日本文化研究センター所長)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)