選評
社会・風俗2022年受賞
『中国料理の世界史—美食のナショナリズムをこえて』
(慶應義塾大学出版会)
1972年生まれ。
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。
上海社会科学院歴史研究所訪問研究員、千葉商科大学商経学部教授などを経て、現在、慶應義塾大学文学部教授。
著書 『上海大衆の誕生と変貌』(東京大学出版会)など。
初めて訪ねた異郷の地で、知り合いもおらず、土地勘も働かない。刻々と夕闇が迫るなか、温かい食事にありつこうと街を歩き回り、中国料理店を見つけて安堵する。そんな経験を有するのは評者だけではないだろう。中国料理店は世界の津々浦々にまで行き渡り、さまよえる空腹人を優しく迎えてくれる。
もちろん源流は中国である。古代から南北二つの料理系統があり、清代初期までに北方、江南、四川、広東・福建の四大料理が認知された。海を渡ってシンガポール、マレーシアなど東南アジアでも中国食文化が花開き、香港、台湾では英・日の植民地時代に独自の発展を遂げ、更に欧米にも中国料理は進出してゆく。
こうして各地域、各国で展開された中国料理の受容と変容の歴史を著者は記してゆく。空間的広がりを追い求めるあまり記述の深さが犠牲になったのではないかという懸念は杞憂だ。たとえば長く中国文化圏の中にあったベトナムにおける記述を例とすると、阮朝時代以後が特に厚く、広東人商人が持ち込んだ粥や湯麺などの料理が「フーティウ」と呼ばれるライスヌードル料理に進化し、フランス植民地時代、ベトナム戦争の時代に麺料理「フォー」を生み出す経緯が詳しく紹介されており、十分な密度を備えている。
中国料理のナショナリズムとトランス・ナショナリズムのサクセス・ストーリーを描きたかったのではないと著者は書く。たとえば日本で「和食」が時を遡って「発見」されたように、料理をナショナリズムに回収しようとする政治的風潮は強い。中華人民共和国でも20世紀後半から先の四大料理が主に外国人向けに整理されて国民料理として語られるようになった。しかし、中国料理の場合、事実を丁寧に示すことがナショナリズムへの安易な回収を困難にする。生物種が急増した古代の「カンブリア爆発」のように中国料理が多彩に展開するのは、むしろ中国が帝国・国家としては衰退していた時期だし、中国料理の伝播・普及には中国人だけでなく、それを受け入れるホストカントリーの多彩な人たちの貢献がある。
本書は各国、各地域の中国料理史を束ねたもので、世界史として全体を統一的に記述しようとする指向に欠けると感じる読者もいるかもしれない。しかし、「世界」とはそもそも統一的に語ろうとしても、その思惑をすりぬける多様性こそを本質とするものではないか。世界史がひとつの法則性の下に語られている場合は、むしろ特定の信仰やイデオロギーによって曇った眼差しによって実態を見誤っていると疑うべきではないか。
本書を読んでいて思い出したのは、評者がベトナムを取材していたとき見聞きした「王の掟は街の掟に敗れる」という意味の諺だった。生活者たちの手で、しなやかに、したたかに変容してきた中国料理の世界は、まさに「街の掟」にのみ従い、統一的な上からの意味づけになじまない。そうした中国料理の世界を、あたかも料理自体に物語らせるかのように実証的に描き出した本書は、世界史記述のひとつのモデルにもなるのではないか。
武田 徹(ジャーナリスト、評論家)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)