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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史2021年受賞

北村 陽子(きたむら ようこ)

『戦争障害者の社会史 ―― 20世紀ドイツの経験と福祉国家』

(名古屋大学出版会)

1973年生まれ。
名古屋大学大学院文学研究科史学地理学専攻博士後期課程満期退学(西洋史学専門)。博士(歴史学)。
愛知工業大学基礎教育センター准教授などを経て、現在、名古屋大学大学院人文学研究科准教授。
著書 『核と放射線の現代史』(共著、昭和堂)など。

『戦争障害者の社会史 ―― 20世紀ドイツの経験と福祉国家』

 20世紀前半のドイツは、2度の大戦によって300万人におよぶ戦争障害者を生み出した。彼らは戦争という国家事案を遂行した英雄、あるいは犠牲者として優遇される反面、厄介者として疎外され、抑圧された。本書は、第1次世界大戦まで、戦間期、第2次世界大戦とその後、という3つの時期を戦争障害者がどのように生きたのか、そして国や社会は戦争障害者にどう向き合ったかを、援護法制、医療支援、就労支援、家族関係等、多角的な視点から考察し、戦争障害者の存在がドイツにもたらした影響を解き明した力作である。
 第1次大戦後、戦争障害者に対して国が全面的に援護を行う全国援護法が制定された。ただし、その援護は労働による自立を原則とし、戦争障害者の身体機能を回復させ、生業に復帰させることに重点が置かれた。その結果、リハビリなどの身体鍛錬法が考案され、やがて体操、水泳、球技、射撃などのスポーツ競技へと発展していった。また義肢や盲導犬等、現在も用いられる医療技術や補助技術の開発につながった。
 援護法のもとでも戦争障害者が就職することは容易ではなく、彼らは国家の福祉政策に依存する厄介者と見られるようになった。「戦争障害者は第一の市民である」を標榜するナチ政権に、多くの戦争障害者が取り込まれたのも無理はない。第2次世界大戦後、連合国による占領支配下において、戦争障害者や戦没兵士遺族は「ナチの支持者」と見なされ、援護法による特別支援は停止された。ソ連支配下の東ドイツでは援護法は再立法化されなかったが、西ドイツでは、空爆などによって被害を受けた人々も含む形で特別立法が要求され、就労困難な障害を抱える人々一般へと就労優遇政策が広がっていった。
 戦争障害者の援護は、傷ついた男性兵士を労働によって自立させ、社会に統合するための方策であり、稼得者としての「男性らしさ」の回復を目指すものであった。しかし、実際には女性たちが生計の中心にならざるをえなかった。社会の建前に対する女性たちの抵抗が、1960年代以降に興隆するフェミニズム運動を準備したと著者は捉える。
 本書を読むと、スポーツ、義肢、盲導犬、社会福祉、ジェンダー平等など、現在私たちが手にしている「善いもの」の基底には、時代に翻弄された戦争障害者とその家族という社会的弱者の存在があることが分かる。社会的弱者の度重なる犠牲の上に私たちの幸福が成り立っているのだ。社会全体がどれだけ弱者に向き合い、寄り添い、共に解決しようとするかによって、未来の幸福が決まると言える。
 新型コロナウィルス感染症の世界的蔓延は、私たちに、誰もが弱者になりうる時代にいることを告げた。コロナウィルス感染症が終息したとしても、気候変動、災害、エネルギーや水の不足、紛争・戦争等によって、誰もが弱者になりうる時代は続くだろう。今こそ、弱者を中心に置く持続可能な社会を構想し、実現に向けた具体的な活動を、それぞれの持ち場で進めていかなくてはならない。その時、本書は、善き導き手の役割を果たしてくれるだろう。
 日本における傷痍軍人や戦没者遺族との比較を含め、未来を拓く北村氏の研究がさらに広がることを期待したい。 

堂目 卓生(大阪大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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