選評
思想・歴史2021年受賞
『権力分立論の誕生 ―― ブリテン帝国の『法の精神』受容』
(岩波書店)
1988年生まれ。
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。
日本学術振興会特別研究員(DC2)、プリンストン大学歴史学部訪問学生研究協力員などを経て、現在、日本学術振興会特別研究員。
論文 「アメリカ啓蒙と陰謀論」(『日本18世紀学会年報』36号所収、2021年)など。
権力分立、とりわけ立法・行政・司法の三権分立は、現在の日本の政治制度を理解するための基本概念として、人々の常識になっている。そして、18世紀のフランスで三権分立を唱え始めた思想家としてモンテスキューの名前が、高校教科書では必ずとりあげられる。だが、その主著『法の精神』にはたしかに裁判権の独立が説かれているものの、立法権・執行権・司法権の三つの「分立」を明示した箇所がない。
これは長らく思想史の研究者を悩ませてきた問題であった。そしてさしあたりの理解として、以下のような説明が共有されてきた。モンテスキューの生み出した権力分立論がアメリカへ継承され、やがて合衆国憲法の制定時にジェイムズ・マディソンは、三権がおたがいに抑制・均衡の関係に立つ権力分立論を確立した。こうしたこれまで漠然と存続してきた説明が「美しい嘘」にすぎないことを、本書は明るみに出す。同時に地理上の範囲をさらに広げ、多くの問題を含みこんだダイナミックな思想史の展開を跡づけたところが重要である。
モンテスキューの『法の精神』は、植民地帝国ブリテンへと伝わって、司法と立法の融合の危険性を批判する議論と、植民地の統治体制をめぐる議論のなかで、解釈の重大な変容が起こる。伝統的な混合政体論に代わって、立法・執行・司法の三つの権力を分立させるべきだという議論が、モンテスキューを援用しながら展開されるようになったのである。
だが、単に三権が「分立」するだけでは、現代において通常思い描かれる「三権分立」の制度が十分に実現するとは言えない。たとえば司法権が立法権に積極的に介入するといったように、三権が相互に抑制・均衡を行う仕組みが必要なのである。合衆国憲法制定をめぐる論争のなかでマディソンは、むしろモンテスキューの理論から訣別すると宣言しながら、三つの権力の抑制・均衡を説いたのだった。そしてさらにアレグザンダー・ハミルトンが、大統領制のもとでの執行権の単一性を保持するための「一点突破」の論法として、抑制・均衡を強調しつつ、積極的な司法審査の制度を支持することになった。
本書は、データベースで公開された史料をふんだんに検索・読解し、さらに海外の図書館や文書館に足を運ぶことで可能になった研究の成果である。舞台はフランスからイングランド、北米植民地、インド植民地、アメリカ合衆国と目まぐるしく移り、それぞれの地域に即した思想史の背景が明らかにされる。18世紀の植民地帝国という新たな秩序が生み出した思想の変容の過程として、全体を意味づけることも可能だろう。人とモノの移動だけでなく、思想の伝播と受容もまた、歴史のグローバルな展開の重要な要素であり、むしろ思想こそが、長い距離をこえながら影響を各地の文化にすばやく及ぼすと見ることもできるだろう。政治思想史が本来、視野の広いグローバル・ヒストリーへと展開する要素を秘めていることを、よく実感させてくれる快著である。
西洋政治思想史の研究は、英国のみ、フランスのみの思想を扱うといった一国集中型になりがちである。著者、上村剛氏は早くも最初の著書でそうした枠を打ち破る離れ業を見せた。欧米の思想史の全体像に挑み、歴史研究と現代における政治制度の考察との双方を視野に入れた、スケールの大きな研究者の登場を言祝ぎたい。
苅部 直(東京大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)