選評
政治・経済2021年受賞
『欧州の排外主義とナショナリズム ―― 調査から見る世論の本質』
(新泉社)
1983年生まれ。
早稲田大学大学院政治学研究科博士後期課程修了。博士(政治学)。
外務省国際情報統括官組織第四国際情報官室専門分析員、日本学術振興会特別研究員(DC2)、立教大学法学部助教などを経て、現在、北九州市立大学法学部政策科学科准教授。
著書 『デモクラシーと民族問題』(勁草書房)など。
経済力や軍事力を尺度にすればアメリカに到底及ばなくなっても、人権や環境への配慮といった理念とその実践については世界をリードしている――これが戦後のヨーロッパが形成してきたイメージであり、EUを通じた超国家的統合の試みとあわせて、世界からの注目と好意的評価を集めてきた点であった。
ところが近年、このようなイメージと評価を覆しかねない事態が生じている。2015年から16年にかけて生じた欧州移民危機においては、開明的で平等性の高い社会を目指してきたヨーロッパ諸国が、域外からの移民に門戸を閉ざそうとする姿勢を強めた。同じ年にはイギリスが国民投票によりEU離脱を決めたことも、大きな衝撃を与えた。
しかし、冷静になって振り返ってみれば、各国における反移民感情や反EU感情の高まりは危機の前から起こってきたことであった。コロナ禍で一時的に鳴りを潜めているが、それらが消え去ったわけでは決してなく、現在進行形の事象である。
だとすれば、このような感情がヨーロッパ諸国に暮らす人々の間になぜ強まっているのかを、より深く検討する必要があるだろう。
受賞作『欧州の排外主義とナショナリズム』において中井遼氏は、近年の政治学において著しい方法的発展を見せているサーヴェイ実験に基づくデータと、従来から用いられてきた大規模世論調査である欧州社会調査や各国の世論調査データ、さらにラトヴィアなど一部の国についての現地調査を組み合わせつつ、このテーマに取り組んでいる。
分析を通じて、しばしば経済的な不安や不満と結びつけられがちであった反移民感情は、むしろ反EU感情と重なり合いつつ、自らの暮らす国や社会の文化が壊されてしまうのではないかという懸念に源泉を持つこと、そのような感情は学歴や社会経済的地位が高い人々や極右政党以外の政党を支持する人々の間にも珍しくない程度に広がっていることが明らかにされている。表面的な現象以上に事態は深刻だといえよう。
オンライン・サーヴェイを多用することで、外国の有権者の意識について自ら新しいデータを収集し、それを適切な方法により分析して従来にない知見を得るという点で、本書は大きな学術的成功を収めている。さらに、データ分析に馴染みのない読者に向けた丁寧で直観的理解が得やすい説明や図表、政治学で用いる諸概念の明確な定義など、専門外の読者を意識して叙述することで、知見を社会に開こうとする意識も強く感じさせる。
本書に対しては、地理的には同じヨーロッパでも、置かれている国際環境が異なる諸国を一括りにして良いのか、より詳細な現地調査などを踏まえた検討があればさらに理解は深まったであろうし、最終章における日本への含意にはやや飛躍があるのではないか、という課題も指摘できる。
しかし、批判的な思考や議論を誘発することは間違いなく良書の必要条件であり、本書の挑戦がいかに有意義であるかを逆に示している。国際的な研究論文と専門外にも広がりのある著書の双方で、中井氏には今後さらにご活躍いただきたいと強く願う。
待鳥 聡史(京都大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)