選評
社会・風俗2020年受賞
『南方熊楠のロンドン ― 国際学術雑誌と近代科学の進歩』
(慶應義塾大学出版会)
1977年生まれ。
京都大学大学院人間・環境学研究科文化・地域環境学専攻博士後期課程単位取得退学。博士(人間・環境学)。
南方熊楠顕彰館にて外部協力研究者として、資料調査、展覧会、出張展、公開講座などを担当。現在、南方熊楠顕彰会理事。慶應義塾大学非常勤講師、京都外国語大学非常勤講師も務める。
著書 『南方熊楠英文論考[ノーツ アンド クエリーズ]誌篇』(共訳、集英社)、『日本犬の誕生』(勉誠出版)など。
南方熊楠は英雄伝説に包まれていた。曰く、キューバで独立戦争に参加して胸に銃弾を受けた・・・ロンドンの中国公使館に拉致された孫文を救い出した・・・日本人でありながら、請われて大英博物館の館員になった云々。こうした伝説の類には、熊楠自身が広めたものもあるというから、始末が悪い。
南方熊楠は、英国の雑誌「ネイチャー」に51篇、「ノーツ・アンド・クエリーズ」に324篇の論文を投稿しているのだが、本書は、ヴィクトリア朝のロンドンという、場所と状況の中で書いた熊楠の英語論文の解読である。それまでのように、いわば外部から、だけではなく、内部からも熊楠に迫った研究といえばよいか。その結果未だかつてなかったような、等身大の熊楠像を描くことに成功していると思われる。何よりも、わかりやすく、ふっと腑に落ちる気がする箇所が多い。
この時代、学問は、アマチュアによって支えられてきた。アマチュアとは何かといえば、その学問で飯を食っていない、好きでやっている人々のことである。
昆虫学にしても、蝶、甲虫の分類、生態解明は、アマチュアの協力なくしては、不可能であった。ミドリシジミの生活史は、今では日本産の全種について解明されているけれど、もしあの美しい蝶の成虫を愛するアマチュアがいなければ、カシの仲間の木の梢にいる平べったい小さな虫が、あのミドリシジミの幼虫であろうとは、いまだに知られないままであったかもしれない。
熊楠の論文は、もちろん英語で書かれたわけで、彼自身、柳田國男に宛てた書簡で、「小生は主として頭から洋語洋想で洋人と議論することを力めたるなり」と書いている。慶應3年生まれの熊楠の世代というのは、日本の史上、インテリが和漢洋にわたって、読み、かつ書く力を高度に有していた、むしろ特異な世代である。しかも、「洋人に勝つ」ということに、非常な価値を置いていた。
熊楠は、『酉陽雑俎』『世説新語』など、中国の随筆、怪異譚のみならず、古代ローマのアプレイウス『黄金のロバ』やプリニウス『博物誌』まで縦横に引用している。英国の学者らも彼を頼りにするようになっていった。
その点で熊楠伝説に込められた期待は、たとえば「吉備大臣入唐絵巻」にあるように、漢文の本場たる唐の地で、本国の学者らが次々に出してくる難解な文章をスラスラと解読する、“代表選手"吉備真備の姿とあまり変わりがない。熊楠伝説に人々が拍手を送った所以である。
熊楠も、「自分が初めて洋人の地で植物の新種を発見した」ことなどを強調しているが、植物学の業績が、主として新種発見にあった時代、フローラについてほとんど調べ尽くされた観のある英国に渡った熊楠が、植物学から離れたように見えるのはその困難さを悟ったゆえであろう、と著者はいう。
「ノーツ・アンド・クエリーズ」の英語論文は、2014年に邦訳が出され、読みやすくなったのだが、著者はその解読作業の大半に加わり、全体の半分弱の翻訳を担当したそうである。それだけでも立派な業績だと思うが、本書はその優れた解説としても長く残るものとなるであろう。
奥本 大三郎(埼玉大学名誉教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)