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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗2020年受賞

伊藤 亜紗(いとう あさ)

『記憶する体』を中心として

(春秋社)

1979年生まれ。
東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究美学芸術学専門分野博士課程単位取得退学。博士(文学)。
日本学術振興会特別研究員(RPD)、東京工業大学リベラルアーツセンター准教授を経て、現在、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授、同大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター准教授。
著書 『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版社)、『どもる体』(医学書院)、『手の倫理』(講談社)など。

『記憶する体』を中心として

 伊藤氏のユニークさは、東大院で美学・芸術を専攻して博士号を取り、専門は美学、現代アートとしながら、「身体論の専門家」を自称し、どもりとか身障者に関するものや、盲人の世界観やアスリートの身体論等を著していることだ。またヴァレリーの芸術哲学とか、近著ではバフチンのラブレー論における「カーニバル的」中世社会論にも言及しているが、それらも身体論からアプローチしている。本賞は、『記憶する体』をはじめとする彼女の一連の著書(『どもる体』『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』等)に対して与えられる。
 『記憶する体』を読んで最も強く感じることは、義肢とか幻肢など障害者の身体論をテーマとしながらも、単なる医学的、身体的な視点ではなく、生の意味やアイデンティティが関心の的になっていることだ。その象徴が、何人かの吃音障害者に、ある薬で吃音が全快する場合、薬を飲むかと尋ねると、全員がNoと答えたとの報告だ。障害者にとって、それとの格闘こそが、生きる意味と不可分なのである。伊藤氏の自信を示しているのが、「本書がいつか考古学的資料として、賢者たちの知恵の書として読まれたい」との言葉だ。著者のどの本にも滲んでいるのは、それぞれの問題について、徹底的に考え抜いたという自信である。それが、どの著書を読んでも読み易い理由だろう。自信のない者ほど、持って回った難解な表現をしたがるものだ。
 ヴァレリー論も『フランス百科事典』に彼が書いた長文の身体論を考察している。評者が関心を抱いたのは、「シュルレアリスム宣言」のアンドレ・ブルトンとヴァレリーの両者が、「詩と散文」の本質的な違いや「イメージからの解放」に関しては共通の問題意識を有しながら、その解決に関しては「決して同志にはならなかった」との指摘だ。
 さらに著者の慧眼と言えるのは、20世紀前半の芸術家は、自ら信じる高い価値を目指す「垂直型」(解る人が解ればよい)だったが、今日では民主的な「水平性」(皆に解る)が重視されている。しかし、「水平性の過剰な尊重が垂直方向への私たちの可能性を抑圧するものであれば、私たちの生命力を奪う憂慮すべきもの」と指摘していることだ。わが国の美学研究者や芸術家自身でさえも、このようにストレートに言える者は、そう多くはない。欲を言えば、この問題に正面からもっと深く切り込んで欲しかった。ここに、今日の芸術の本質的問題点があるからだ。
 評者が疑問を抱いたのは、伊藤氏は美学・芸術の研究者でありながら、なぜすべての著書が身体論とか障害者論、あるいは身障者のアスリート論なのか、ということだった。その理由が分かったのは、著書自身が、『どもる体』のあとがきで、「後出しジャンケンみたいだが、私自身にも吃音がある」と述べていること、また『目の見えないアスリートの身体論』の中で、「私自身、陸上部出身」と書いていたからだ。
 つまり、研究者として理論的に考察しただけではなく、自らの身体的体験が全ての考察の基礎になっており、それが説得力の源となっているのである。また、著者が理系から文系への「文転」者であることも、明快な理論的分析・考察の背景であろう。
 分野を超えた彼女の発言や行動は、今後の各方面に刺激を与えると期待している。

袴田 茂樹(青山学院大学名誉教授、新潟県立大学名誉教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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