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サントリー学芸賞

選評

芸術・文学2020年受賞

中嶋 泉(なかじま いずみ)

『アンチ・アクション ― 日本戦後絵画と女性画家』

(ブリュッケ)

1976年生まれ。
一橋大学大学院言語社会研究科美術史専攻博士課程後期単位取得満期退学。博士(学術)。
広島市立大学芸術学部准教授、首都大学東京人文科学研究科准教授をなど経て、現在、大阪大学大学院文学研究科准教授。
著書 『ニューヨーク ─ 錯乱する都市の夢と現実』(共著、竹林舎)など。

『アンチ・アクション ― 日本戦後絵画と女性画家』

 本書のはらむ射程は大きい。一見すると、フェミニズム美術史によくあるように、これまで男性画家を中心に語られてきた絵画史における女性画家の活動を復権させる試みを、日本戦後絵画を舞台に展開したものと受け取られるかもしれない。むろん、そういう部分もないではないが、しかし真に注目すべきは、本書がそこに留まることなく、女性画家も視野に入れて戦後日本の前衛絵画史を書き換え、新たな歴史を構築することを目指す野心的な研究であるという点にほかならない。
 1950年代から60年代にかけての戦後抽象絵画には女性画家の活動を含めた多様で混沌たる状況があった。ところが、「アンフォルメル旋風」を通じて経験した、西洋の東洋(日本)蔑視やオリエンタリズムによる挫折の代償として、男性の画家、批評家たちが「アクション・ペインティング」に男性性を重ね合わせる(再ジェンダー化する)方向に突き進んだために、女性画家が持っていた「アンチ・アクション」的な作画活動が歴史に埋もれ、評価を逸してしまったというのが、筆者が提示する新たな見取り図である。「戦前の父と戦後の娘」、すなわち年上の男性指導者と若手女性画家との補完的な関係なども冷静に指摘しながら、本書はこの時期の美術状況を少なくとも相対化することに成功している。フェミニズムとオリエンタリズムの視点が交差することによって、説得力のある歴史分析がもたらされたのである。
 3人の戦後女性前衛画家の再評価を企てる後半の各論で、現代美術界の世界的スターとなった草間彌生と、「具体美術協会」との関わりですでに認知された田中敦子が扱われるのは、あくまでも1950~60年代における彼女たちの初期活動の再解釈のためである。国際的認知の獲得を目指す芸術家の生き様と戦略を示す草間の「ネット・ペインティング」、戦後の大衆文化と消費社会の現実を知覚的な刺激として取り込む田中の「円と線の絵画」、作家論と作品論が融合した各々の叙述は興味深く読める。「実験工房」に加わった福島秀子については、その後「消えてしまった」女性画家の掘り起こしの試みであるが、「捺す」絵画と人間のイメージという視点にもかかわらず、論述が今ひとつ切れ味に欠け、位置づけと評価に苦慮している観がある。ともあれ、他の知られざる女性画家たちの仕事も今後復活させていただきたい。
 本書の成果については、特に戦後美術史に関するいくつかの「正史」が批判的読解にさらされたことへの批評家、研究者の反応、反論を知りたいし、今後、真に生産的な議論が起こることを願っている。そして、本書を起点に筆者が日本戦後絵画史に新たな筋道をつけようとするならば、日本画も含めた女性画家たちの総体をどのように捉え直すのかも課題となろう。人名の不注意な表記ミスがあるのは気になるが、論理を通す骨太の文章力、緻密な作品分析は称賛に値する。日本戦後絵画の盲点を浮上させた筆者の次なる問題提起に期待しよう。

三浦 篤(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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