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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史2019年受賞

板東 洋介(ばんどう ようすけ)

『徂徠学派から国学へ―表現する人間』

(ぺりかん社)

1984年生まれ。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得満期退学(倫理学)。博士(文学)。
日本学術振興会特別研究員(PD)、東京大学大学院人文社会系研究科研究員などを経て、現在、皇學館大学文学部神道学科准教授。
論文 「荻生徂徠と芸道思想」(『思想』No.1112所収、2016年)など

『徂徠学派から国学へ―表現する人間』

 中国古典に表わされた「道」を探求する儒学としての徂徠学と、外来思想が入ってくる前から日本に存在した「道」を継承しようとする国学と。主張としてはまったく対照的な二つの思想は、重要な側面で連続しながら、鋭い緊張関係を保っていた。1910年代に村岡典嗣が、そして40年代に丸山眞男がとりあげて以来、徳川思想史の研究において盛んに注目されてきた主題である。
 板東洋介『徂徠学派から国学へ』は、戦後の思想史研究において積み重ねられた諸見解を上手に咀嚼しながら、この大テーマに新たな角度から迫った力作である。従来、両者の思想の関係については、古典の解釈方法や言語論についてその連続と変容を語る、いわば時系列に即した分析が行われるのが通常であった。本書においてもその方法は一面で巧みに継承されている。
 しかし同時に、「表現する人間」という副題が表すように、世界と人間との包括的なとらえ方について、荻生徂徠と賀茂真淵、両者が一定の哲学を共有していた。そのことを、テクストの表面的な文言から深みへとわけいり、思想家の内面の奥底にある嘆きや嘆息まで掘り出しながら、叙述を展開するところに本書の特色がある。
 さまざまな職分によって構成され、経済発展を背景とした変動にさらされる社会。それをとらえるのに、朱子学のグローバル・スタンダードを粗雑に適用してすませることをやめ、複雑で不透明、自己の意のままにならない他者たちのうごめく空間として理論化したところに、荻生徂徠の独創性はあった。そして、徂徠が経世論から追放した、治者にとっての自己への配慮という問題に執着するところから、賀茂真淵の国学思想が出発したと板東は位置づける。
 経書というテクスト。さまざまな職分の「わざ」。古代の歌の「雅び」。それらが自己にとっては異質な「物」として迫ってくるという、内と外との断絶を確認しながら、同時にそれらに習熟し、みずからの「表現」を試みる。徂徠と真淵とが共有するそうした姿勢に、18世紀の日本に立ち現れた、「型」の思考を板東は見いだす。そしてそれは、それ以前の日本思想史にしばしば見られ、また近代にも強調される、「心」の教説とは対照的なものだと位置づける。徂徠と真淵は、この「型」の思考を対象化して言葉に載せることに成功した思想家なのである。
 おもしろいことに選考の席上では、文章がよみやすいという意見と、反対に難しいという声と、対極の評価が発せられた。それは、なめらかに議論を運びながら、同時に随所で哲学上の問いを喚起し、読者に考えさせる工夫を、叙述のなかにこらしているからであろう。「型」をめぐる問いを、みずからの思想課題として引きうけようとする。そうした著者の姿勢が、内容だけでなく文体にも沁みわたった作品として、本書は屹立している。

苅部 直(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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