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サントリー学芸賞

選評

社会・風俗2019年受賞

藤原 辰史(ふじはら たつし)

『分解の哲学―腐敗と発酵をめぐる思考』

(青土社)

1976年生まれ。
京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程地域環境学専攻中退。博士(人間・環境学)
東京大学大学院農学生命科学研究科講師などを経て、現在、京都大学人文科学研究所准教授。
著書 『給食の歴史』(岩波書店)、『トラクターの世界史』(中央公論新社)、『[決定版]ナチスのキッチン』(共和国)など

『分解の哲学―腐敗と発酵をめぐる思考』

 社会・風俗部門では、対象は「なんでもあり」というのが、特徴といえば特徴だ。だからこそ選考過程は、すぐには理解できなかったり、思わずはっとさせられたりと、苦楽 (くるたの) しいものだったりする。
 そのなかで、受賞の栄誉に輝くものには、往々にして共通することがある。それは「圧倒的」な何かがあるということだ。圧倒には、調べ尽くすこと、集め尽くすこと、表現し尽くすことなど、色々な意味がある。藤原さんの場合も、「これでもか」というほど、題名にあるように対象を徹底的に分解し尽くし、考え尽くした執念が、受賞につながったと思う。
 社会の構造を捉えようとすると、概して生産する側と消費する側への二分化が行われる。考えてみると、その常識的な二分法はちょっと変だ。生産者によってつくられた商品、サービス、情報は、流通過程を通じて、消費者に届けられる。日進月歩する流通は、社会を便利なものへと変えている。
 では、消費されたものは、ふたたび生産へとどうやって変化していくのか。その過程を、社会の進化や発展と関係なく、影で担い続けてきたのが「分解」だ。社会は、生産、流通、消費だけでは成り立たない。必ず前後には、分解が含まれる。さらに消費と分解は、混然一体の関係でもある。食する行為とは、同時に分解する行為である。喰らう私たちも、社会の分解過程を担う一つの通過点なのだ。
 付加価値を生み出す機能を持つ生産は、自然や社会の陽の側につねに立つ。しかし、明るいものにしか価値を認めない風潮は、どこか傲慢で生きづらい。比べて分解は、いつでも死と直結し、崩壊や汚れの象徴となるなど、陰の側面を一手に引き受ける。
 分解には価値を生む機能とは別に、すべてを中立に戻し、新たな時間の始まりを肥やす作用がある。分解者は規範や秩序等の堅苦しさとは一切無縁。制御された環境の空白を衝き、自己の快楽と興奮にしたがい生を享受する。それは蒼氓の美とおかしみに通じる。
 本当を言えば、生産よりも分解の方がずっと楽しく刺激的なことを、子どもの頃から多くが経験してきた。崩れゆく積み木、ロボットの切ない最期、蟻の街のバタヤ稼業、ファーブルの糞ころがし、壊れ欠けた道具や製品の数々。生産的であれと日々強制され続ける大人が忘れかけた「解きほぐす」ことの醍醐味を、本作は多彩な材料から呼び起こす。
 ただ、最初に読んだとき、これまでの作品が読者によく寄り添って書かれていただけに、内容の硬骨さに、正直、戸惑いをおぼえた。それがどうだ。少し時間を空けて読み返してみると、自分のなかで何かがぱっと弾けた(気がした)。きっと著者が仕込んだ巧妙な作用のせいで、私の思考が少しだけ発酵したのだろう。
 ウイスキーは、発酵と蒸溜の作用で人々に生きる悦びをもたらしてきた。本作の副題ほどサントリーの賞にピッタリのものは、そうない。これからも受賞者が、発酵と腐敗の効いた、どんな味わい深い作品を届けてくれるのか。呑みながら楽しみに待っている。

玄田 有史(東京大学教授)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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