選評
芸術・文学2019年受賞
『〈雅楽〉の誕生―田辺尚雄が見た大東亜の響き』
(春秋社)
1971年生まれ。
高校卒業後フランス留学を経て、雅楽演奏、楽器調律、楽器製作補助に携わる。東京大学大学院人文社会系研究科博士後期課程(文化資源学)単位取得退学。博士(文学)。
現在、フランス国立パリ・ディドロ(パリ第七)大学東アジア言語文化学部日本学科助教。
著書 『伝統を読みなおす1 日本文化の源流を探る』(共著、京都造形芸術大学出版局)など
明治という「近代」を迎えた日本の諸芸術は、新しい時代に合わせた変革を迫られた。たとえば「美術」という言葉が西洋から美術制度を移植する際に生まれた翻訳語であることはよく知られている。対して「音楽」という言葉は「雅楽」の同意語として古くから存在したが、明治期に「ミュージック」の訳語となったことから、その語義には揺れが生じた。
では「雅楽」の方はどうなったか。鈴木聖子氏の『〈雅楽〉の誕生』は、この問いへの回答を、田辺尚雄(1883-1984年)という音楽学者の再評価を軸に鮮やかに描き出す。田辺は今日の雅楽定義 ―― ①日本固有とされる神楽、②外来の唐楽や高麗楽、③それを基に発展した催馬楽など ―― を創出し、生涯で百冊を超える著作をものしたという、日本音楽研究の祖ともいえる人物だが、これまで本格的に研究されることがなかった。あまりに多作で思想に一貫性を見出し難いこと、一時は「大東亜音楽科学」を唱えていたため、その実像は日本の帝国主義と切り離して論じ得ないことも影響したのかもしれない。
本書の一番の功績は、田辺の膨大な著作や関連資料を丹念に読み込んで、近代批判の視点だけでは見えてこない彼の壮大なヴィジョンを明らかにしたことだろう。第一部「『日本音階』の誕生」でその原点を東京帝国大学物理学科で学んだ「科学」としての音響学に求め、第二部「進化論と『日本音楽史』」では西洋音楽史に比肩するものとして日本音楽史を叙述する過程で三分類の雅楽定義を編み出した経緯を、そして第三部「大東亜音楽科学奇譚」では、正倉院での楽器調査や東アジアでのフィールドワークが、雅楽を中心とする「大東亜音楽科学」へと展開していった様相を詳述する。
もちろん、西洋音楽に対抗できる唯一の東洋音楽は雅楽であるという主張は、植民地主義抜きには理解できない。だが雅楽の起源を古代メソポタミアにまで辿ろうとする田辺の持論は大東亜共栄圏思想よりもはるかに早くから展開され、時代の要請とは合わない部分もあった。たしかに、「国楽」の座を得たのは雅楽ではなく、大勢で歌える唱歌だったことを考えても、田辺の言説がどれだけ直接的に軍国主義に寄与したかは疑問だ。終章では、戦後の田辺が自己矛盾を感じることなく雅楽の存続に尽力した様子が描かれるが、現代の価値観からはご都合主義にも見えるその行動は、明治以来、西洋音楽に対して不利な立場に置かれてきた日本の音楽を ―― 延いては東洋の音楽を ―― 救おうとする点では一貫していたのである。
それにしても、この優れた著作が、自らも雅楽演奏者で、現在はフランスで日本文化の紹介に携わる女性研究者から上梓されたことは頼もしい。宮中の男性演者によって継承されてきた雅楽は、皇室と強いつながりを持つ一方、民間や海外の演奏会では、女性演者を交えて現代的にアレンジされることもある。だがそもそも、雅楽という文化は、誰のものなのか。多くの人が自分のものと感じられない「伝統」に未来はあるのか、という本書を貫く危機感は、田辺のそれとも呼応する。だからこそ、その初の本格的な論考が鈴木氏によってなされるのは必然だったのであろう。ともすれば閉鎖的になりがちな「伝統」を外に開いていこうとする鈴木氏の意志と、安易な価値判断を退ける成熟したものの見方は、現在の日本の芸術をめぐる状況を考える際にも大いに参考になる。受賞を心よりお祝いするとともに、今後の更なる活躍を期待したい。
池上 裕子(神戸大学准教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)