選評
芸術・文学2019年受賞
『ルネサンス庭園の精神史―権力と知と美のメディア空間』
(白水社)
1975年生まれ。
イタリア・ピサ大学大学院美術史学専攻博士課程修了。博士(文学)。
ピサ大学文哲学部美術史学科リサーチ・アシスタント、マックス・プランク美術史研究所(フィレンツェ)などを経て、現在、大阪大学大学院文学研究科准教授。
著書 『記憶術全史』(講談社)、『叡智の建築家』(中央公論美術出版)など
イタリア・ルネサンスは西洋美術史の精華であり、何よりもレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなど絵画や彫刻の巨匠を中心に語られてきたが、本書のテーマは庭園だという。しかし、庭で何が分かるのかなどという素朴な疑問は一読すれば吹き飛んでしまう。庭園とは西洋の文化史、精神史が凝縮された領域横断的なトポスだというのが著者の主張なのである。そんな気宇壮大な見取り図と、トスカーナ(フィレンツェ)とラツィオ(ローマ)両地方の名園の具体的記述とが補完し合った、読み応えのある魅力的な研究書が出現した。
規模の大きな庭園を作るには何が必要なのか。建物があるのだから建築学は当然とし、造園のための土木・水理工学、地理学や気象学、動物学や植物学はもちろんのこと、充実の鍵となる考古学や博物学、古代の文芸や哲学、絵画・彫刻までが招喚される。いわば、文理融合型の総合芸術作品としての空間=場所こそが庭園ということになろう。では、誰が何のために誰に庭を作らせたのか。
15世紀のフィレンツェ近郊に点在するメディチ家の初期ヴィッラ庭園群の場合、フィレンツェを支配した富裕な銀行家一族が建築家のミケロッツォやダ・サンガッロに設計させた。ローマのヴァティカン宮、後世に多大な影響をもたらしたヴェルデベーレの中庭ならば、教皇ユリウス2世の命を受けた建築家ブラマンテが手腕を発揮している。ルネサンス庭園が完成形を迎えた16世紀には、フェッラーラ公国のイッポリート2世・デステが古代学者・建築家のリゴーリオに、噴水を縦横無尽に駆使したヴィラ・デステの設計を任せている。
すなわち、注文したのは銀行家、君主、ローマ教皇など世俗的、宗教的な権力者たちで、それをデザイン能力に秀でた建築家(=造園家)が請け負ったのだ。その庭園に望まれたのは閑暇の癒やしや秀麗な眺めだけではない。注文主の権力や財力の誇示、趣味や学識の展覧、グロッタ(人工の洞窟)や驚異の仕掛け、空間の象徴性や地誌的な意味づけ等々、莫大な資金を投じるからには、施主の欲望が適切に反映されることが何よりも肝要。政治と学問と美意識が生々しく交錯する特権的空間がそこにある。
こうして、ルネサンスを代表する別荘や迎賓館の個性豊かな庭園が次々と紹介され、多面的に分析されていく。建築家としてのラファエロの古代への意識と弟子ウーディネの博物図譜的絵画など興味深い論点はいくつもある。ただし、これらの庭園は往事の形では現存しない。未完成、改変、破壊などの運命は逃れようもなく、著者によれば、そもそも庭園の命は儚く、趣味の変化に容易く影響される。だからこそ、稀少な当時の資料を探索しつつ現場に足を運び、想像力を駆使して復元を試みる。そんな庭園学者(?)の熱い思いは十分伝わってくる。
自然と人為が融合した庭というミクロコスモスを濃密な文化的トポスとして論じた本書は、もうひとつのルネサンス論とも言える。庭園史へのさらなる眺望は今後の課題となるが、著者の別の近作『記憶術全史』を併読すれば、日本における西洋人文学の新たな段階の到来を感じるのは評者だけではなかろう。
三浦 篤(東京大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)