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サントリー学芸賞

選評

思想・歴史2018年受賞

新居 洋子(にい ようこ)

『イエズス会士と普遍の帝国―在華宣教師による文明の翻訳』

(名古屋大学出版会)

1979年生まれ。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了(アジア文化研究専攻)。博士(文学)。
東京大学東洋文化研究所特任助教などを経て、現在、日本学術振興会特別研究員。
論文:「『中国古代についてのエセー』(一七七六)読解――第一部を中心に」(『東洋史研究』第77巻第1号所収)など

『イエズス会士と普遍の帝国―在華宣教師による文明の翻訳』

 産業革命以前のヨーロッパと中国との間にどのような知的やりとりがあったか。イギリスで産業革命が始まったのは偶然に過ぎないという最近しばしば見られる見解は、やや誇張されており他の構造的要因を軽視していると評者は考えるが、それにしても、18世紀のヨーロッパと中国を比較したとき、前者が後者を経済的にもそして知的にも圧倒していたわけではないことは確かだろう。
 「科学革命」を構成するさまざまな知的営為がなされていたとはいえ、18世紀ヨーロッパの「科学」観は、現代のわれわれのもつ認識とは相当異なるものであった。そのようなヨーロッパに対して、当時中国に滞在していたイエズス会士たちは、ヨーロッパ以外にも「普遍」が存在し、「科学」が存在することを膨大な著述の形で伝えた。本書は、彼らの著述とりわけアミオの著述を徹底的に検討することで、彼らがどのように「文明の翻訳」を行ったかを、多面的かつ徹底的に明らかにしようと試みた分析である。
 本書を読むことで、読者は、当時の中国における音楽理論、支配者の言語としての満洲語、中国の統治機構(皇帝のあり方や朝貢体制)、歴史観を知ることができるだけでなく、当時のヨーロッパ人がイエズス会士のもたらしたこれらの中国事情に接して、どのように反応したかを知ることができる。
 たとえば、当時ヨーロッパでは、アイルランドの大主教アッシャーによるウルガタ訳聖書を基礎とした聖書年代法が広く受け入れられていた。それによると天地創造は紀元前4004年、大洪水が紀元前2348年と推定されていた。ところが、宣教師マルティニのもたらした中国史によれば、最初の帝王伏羲の治世は、大洪水以前の紀元前2952年となってしまうのであった。マルティニは、この「不都合」を回避するためウルガタ訳聖書ではなく七十人訳聖書に基づく年代法を採用したという。七十人訳聖書による年代推定からすれば天地創造は紀元前5200~5199年、大洪水が紀元前2957年となり、数年の違いで矛盾が回避されるというのであった。
 しかし、この回避策は、ヨーロッパの知識人の間にイエズス会士たちの中国史に対する疑いをさらに生み出し、以後、ヨーロッパの知識人とアミオに至るイエズス会士たちの間で、延々とこの年代矛盾の問題や中国の年代推定の正しさ、その根拠となる中国における天体観測の正確さなどが議論されつづけた。本書は、この議論を丁寧にたどることによって、ヨーロッパにおける中国史に関する認識が格段に進んだことを示している。聖書による年代推定からヨーロッパが解放されることはなかったにしても、この時代の中国とヨーロッパの知的対話は、ヨーロッパにおける歴史に対する見方を格段に緻密なものにしたのではないかと評者は推測する。
 このように全篇にわたって魅力的な分析のちりばめられた本書であるが、あえて難点をあげるとすれば、このヨーロッパと中国との知的対話の構造が今ひとつわかりにくいことである。本書で明らかにしたイエズス会士の苦闘をその一部として取り込むような、骨太な思想のグローバル・ヒストリーを期待したい。

田中 明彦(政策研究大学院大学学長)評

(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)

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