選評
思想・歴史2018年受賞
『歴史と永遠―江戸後期の思想水脈』
(岩波書店)
1987年生まれ。
東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了(総合法政専攻)。博士(法学)。
東京大学法学部附属ビジネスロー・比較法政研究センター特任講師を経て、現在、日本学術振興会特別研究員。
論文:「経世の夢、文士の遊戯 ― 頼山陽における政治思想と史学」(『国家学会雑誌』第127巻7・8号、2014年)など
これはまさしく「ドーダ」にほかならない。選考にあたったある委員の評言である。たしかに、みずから「豪傑」となり、歴史に名をのこして「不朽」の栄誉を手に入れようと奮闘する。そうした一群の知識人たちが登場したことに、著者は十八世紀から幕末までの日本政治思想史の特色をみる。
しかし、彼らの「永遠性獲得願望」は――ここで「永遠」と著者が呼んでいるのは、あくまでも歴史に長く名をのこすという意味である――はじめから深刻な屈折を抱えていた。そのうち多くは武士の身分に属していたが、もはや戦場での活躍の機会がない、太平の世に生きる武人という存在がそもそも矛盾をはらむ。さらにまた、科挙のような人材登用の制度がない以上、学問の素養を統治の実践に活かすこともむずかしい。
従来の学問を一新する「豪傑」となって、みずからの名を後世の歴史書に刻みつける。そうした展望を大胆に示したのが、本書における荻生徂徠の登場の意味である。しかし徂徠の弟子たちは「不朽」をどんな方向に求めるかで分裂していった。服部南郭は統治への参与を諦め、詩文における名声を求めようとする。太宰春台はあくまでも統治の「道」に関する「豪傑」たらんと志向したが、その営みはまた、師説をものりこえ、「新見」の独創性・奇想性を誇ろうとする態度をも生んでいった。
こうして、新奇な学説を提示することで「豪傑」たらんとする者が輩出した時代として、著者はポスト徂徠の時期を位置づける。学派にとらわれない「自得」を強調した折衷学派も、古文辞派の詩文を批判する性霊説の儒者たちもまた、そうした傾向を共有していた。それが、国学・洋学などさまざまな学問が華ひらいた十八世紀後半の気分だったのである。これに対して、寛政の異学の禁ののち、「新奇」さを戒め、朱子学の「正学」を堅持する一種の反動が生まれる。だがそれは同時に、儒学史の「正統」の歴史の末端にみずからを位置づける歴史意識と、学問所のネットワークが全国に広がったことによる「文藝の共和国」の成立と結びついていた。
歴史への強烈な意識をもち、同時に「文藝の共和国」での名声の獲得を追求した頼山陽の登場によって、歴史は新たな段階に入る。山陽自身はあくまでも歴史書を書き、英雄たちの事業を書き記すことで、「文士」としての名声を「不朽」のものにしようと試みた。だが、その歴史書『日本外史』『日本政記』を愛読した世代は、吉田松陰を代表として、歴史に名をのこそうと望み、幕末の政治実践へとなだれこんでいった。そして時代が明治へと移ったあとも、この「永遠性獲得願望」が形をかえて持続することを、内村鑑三『後世への最大遺物』を例にあげて示唆しながら、著者は巻を閉じている。
本書は、明確に理論化されない気分や感情に焦点をあて、それを説得的に解明しながら、他面でミクロな分析に終わらず、思想の広いコンテクストを指し示した業績として、徳川思想史研究に新生面を切り開いた仕事と評価することができる。幕末の政治過程の進行とどのように関連していたのかをもっと教えてほしいといった感想も残るが、それは著者の今後の研究に待ちたい。魅力的な文体も含め、受賞にふさわしい傑作である。
苅部 直(東京大学教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)