選評
社会・風俗2018年受賞
『水族館の文化史―ひと・動物・モノがおりなす魔術的世界』
(勉誠出版)
1979年生まれ。
関西大学大学院文学研究科博士課程修了(ドイツ文学)。博士(文学)。
日本学術振興会特別研究員、関西大学文学部准教授などを経て、現在、関西大学文学部教授。
著書:『ファウスト伝説』(文理閣)、『動物園の文化史』(勉誠出版)
評者は、長い間ファーブルの『昆虫記』翻訳にたずさわってきたので、南フランス、アヴィニョンの法王宮にはよく行った。そこでいつも見入ったのは、養魚池の壁画であった。絵の中には、中世の服装をした人物が四人、四角いプールのような池のまわりでそれぞれ何かしている。一人は、さで網を持ち、一人は投網、また一人は、釣りのような仕草、そして最後の一人は弓で水面を射ようとしているところである。本書にこの絵についての解説を見つけて、楽しく読んだ。
「古代人と同様、中世人はただ水族を捕まえて利用していただけではない。養魚池も盛んにつくられた。中世ヨーロッパの養魚池は、ローマの伝統を受け継ぐものと考えられており、やはりステータスシンボルとして機能した。養魚池は、宴会や賓客の接待のさいに魚を供給するためにも、鑑賞して楽しむためにも重要であった。養魚池の建設が活発化したのは11世紀以降のことで、王や司教など聖俗の権力者ならびに修道院が保有した。云々」
人類は古代から水中世界に対して、好奇心と共に畏怖の念を抱いてきた。河にも、湖にも、むろん海にも、どんな怪物が棲んでいるかわかったものではない。大魚の群れ――これを捕えることはもちろん、大きな願望だが、飼育し、思う存分見ることが、やがて人間の願望となっていく。水中世界に対する知的好奇心の発展である。
しかし、魚を飼うことは難しい。まず水の管理という大問題がある。淡水でも大変だが、海水となるとさらに難しい。それに、容器に入れた水は漏る。一つ間違えば魚は大量死する。それでも科学技術の発達とともに、ガラスや鉄、今ではプラスチックの材料が工夫されて、ジンベエザメを展示するなどということまで可能になった。
本書は、古代世界の人々の魚との付き合い方、アヴィニョンの法王宮の壁画に描かれた養魚池の話などから説き起こし、西欧世界の人々の水族に対する好奇心が徐々に“海洋の神秘”のヴェールを剥いで行く過程を詳しく語って行く。記述は具体的、実証的で、水族の展示における、モナコ、ポルトガルの王侯の権力と財力の誇示、帝国主義の問題、メデイアの発達、19世紀西洋の博覧会を通じての博物学の大衆化、水族館の未来など、興味が尽きない。日本の水族館の歴史についても詳しく調査がなされていて、そこだけでも充分読み応えがある。学術的にも隙が無く、豊穣で、楽しい、水族館研究の決定版と言える。
ところで、またファーブルの話の蛇足なのだが、その最晩年、不遇だった彼のために、友人たちが業績を祝ってささやかな記念祭を計画した。ところが直前になって出席予定の生物学者らが次々に出席をキャンセルしてきたのである。その理由が、モナコに建設された豪勢な海洋研究所の祝典と重なったため、というのであった。学者たちも、田舎の古ぼけたホテルでの食事より、大金持ちの大公のところで、キャビアにシャンパンの方を選んだというわけである。
奥本 大三郎(埼玉大学名誉教授)評
(所属・役職等は受賞時のもの、敬称略)